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坂本弘司撮影

わが命(人生)、八十二年

きょうは七月盆のさ中の七月十五日(金曜日)、父と母の面影を眼前に浮かべて、とびっきり懐かしく偲んでいる。わが人生に「悔いはない」、とは言えない。いやずばり、「悔いがある」と言えば、面影の父と母を悲しませたり、蔑(さげす)むことにもなる。だから、いくらか見え透いたことばで飾り、「尊い人生、ありがとう」と、つぶやいている。人生行路は、荒れ狂う荒波にたとえられる。もちろん、厳しいゆえであろう。私は、サーフィンや波乗りは苦手である。子どもの頃にあっては、「内田川」の漣(さざなみ)にさえ溺れかかったこともある。七月盆のさ中にあっては奇しくも、きょうはわが八十二歳の誕生日である。人生の荒波を乗り越えて、生き延びてきたことには万感の思い、極みにある。だからと言って、それらをいちいち浮かべて、書き記す能力は、私にはない。いや、無理やり浮かべれば、後悔だらけになりそうである。挙句、万感の思いは、せつなく色あせる。それは、御免こうむりたいものだ。だから浮かべず、文章もこれで書き止めとする。夜明けて朝御飯の支度までは、まだたっぷりと時間がある。ならば、わが命(人生)の八十二年の来し方、そしてこの先、命果てるまでの行く末に思いを馳せてみよう。八十二歳の誕生日祝いは、机に頬杖をついて、身体の無病息災にたいし、ひとり、祝杯を挙げることとする。精神は、かなり病に罹っている。

生煮えの夏

七月十四日(木曜日)、朝日の見えない夜明けが訪れている。このところは、曇りや小雨模様の夜明けが続いている。それゆえ、夏の朝の醍醐味は薄れかけている。夏の朝にかぎらず、私は夏の夕暮れも大好きである。ところがこちらも、夏らしさが遠のいている。確かに、例年であればいまだ梅雨明け宣言をみないか、梅雨明け間近のところである。カレンダーでもいまだ、七月半ばである。猛暑をともなう夏本番は、これからだとは知りすぎている。しかしながら、梅雨が明ければ「夏だ!」と、身体がおぼえている。このことでは朝夕にかぎれば、今のところは生煮えの夏である。夏の夕暮れを好むのは、暮れなずむひとときにあって、部屋の電気を一切つけず、網戸から忍び込む涼風を愉しめるからである。昼間の余熱は、涼風にしだい冷やされて、身体のみならず心が和んでくる。それゆえ私は、夏の朝に負けず、これまた夏の夕暮れ礼賛の境地に恵まれる。だけど、私がいくらへそ曲がりだからと言っても、「夏本番の暑さ、早く来い来い!」とまでは言うつもりはない。しかし、なんだか拍子抜けの気分にはある。二度寝にありつけないことには、もとより副次効果などあるはずはない。ところが、副次効果かな? と、疑うものはある。なぜなら、二度寝にありつけずに起き出してくると、そのぶん執筆時間がたっぷりとある。私にすればべらぼうな恩恵である。確かにこのところの私は、この恩恵を無駄にせず、気分ゆったりと焦らず、長文を書き続けている。再び言えばこれは、執筆時間的にはとんでもない恩恵である。なぜなら、寝坊したときの私は「あわてん坊」となり、つれて精神状態は尋常ではない。私は、どうでもいいことを書いている。きょう書きたかったのは、唯一このことだけである。すなわちそれは、新型コロナウイルスのぶり返しの恐ろしさである。わが四度目のワクチン接種は、今月(七月)の二十一日と決められて、すでに届いている。四度目となると事前準備は、手慣れたものである。またまた、往復の無料のタクシー券も届いている。「風が吹けば桶屋が儲かる」。こんなまわりくどい儲けではなく、タクシー会社は笑いが止まらず「ウハ、ウハ」であろうか。しかし、私の場合はそんなに喜ぶ心境にはなれない。なぜならそれは、市税の一業者への垂れ流しであろう。いや、こんな下種の勘繰りは止めて、素直に思い及ばない粋な市の施しに感謝すべきであろう。一方、タクシー会社とて、社会奉仕の精神にあふれて、ここを先途に頑張ってくれているのであろう。しかし、こんな状態がいつまで? いやわが命の終焉まで続くのか? と、思えば落ち落ちとはしておれない、この頃のわが日暮らしである。曇り空が少しずつ明るみ始めている。雲隠れをいいことに寝坊をむさぼっていた朝日が、やおら目を覚ましたのかもしれない。こちら、すなわち朝日の輝きは無償の恩恵である。身勝手に私は、「目覚め、遅すぎだよ!」と言って、発破をかけたくなる。欲深い私は、一方、夕暮れ時には早い時間からの雲隠れを望んでいる。私は虫が良すぎるであらろうか? 確かに、虫が良すぎるのはわが本性(ほんしょう)である、いや人間の本性である。とりとめなく、書くまでもないことを書いた。結語は、「恥を知れ!」である。

残された者の役目

 私は父母、弟を見送ったとき、残された者の役目は、亡くなった人々を思い出し、懐かしみ、常に声に出して語りかけることだと思った。そして、これまで古河にある実家に通いながら、父母、弟に語り続けている。そして、夫が亡くなって二年近くなるが、毎日仏前に御茶、水を供え、毎回の食事を供え、会話し、共に過ごしている。
 今年もまたお盆が来る。仲良く一緒に過ごした私の末の妹が、今年もお盆に来てくれるという。お墓が自宅から近いので、祥月命日にはお参りして、春秋の彼岸には卒塔婆を供える。今年は三回忌なので、妹と二人で供養することになっている。なんだかんだと毎日が仏様と語り合い、共に過ぎていく。心の支えになっている。

ふるさとは「七月盆」

常に、就寝時に枕元に置いたり、かつては外出行動時において携行していた電子辞書は、わが貧弱な脳髄を見るに見かねて補う、役割をになっている。しかし、とりわけ買い物の帰りには、重たいという難点があった。それゆえにガラケーをスマホに替えたのちには、軽いスマホが電子辞書の役割を代行し、今や電子辞書の携行は沙汰止みになっている。さて、きょう(七月十三日・水曜日)は、七月盆の迎え日(火)である。迎え日(火)があればおのずから、送り日(火)(七月十六日)がある。(火)を添えたことにたいしては、わが子どもの頃から知りすぎているお盆(盂蘭盆)の慣習だけれど、あえて手もとの電子辞書を開いた。「迎え火:盂蘭盆の初日の夕方に、祖先の精霊を迎えるために焚く火。門前で麻幹を焚くのが普通。迎い火。送り火:盂蘭盆の最終日に、祖先の精霊を送るために焚く火」。これまた今は沙汰止みだけれど、かつての私は、分厚い国語辞典を愛読書にしていた。幼稚園児でも知りすぎているような、いや何から何まで辞書や辞典にすがらなければならないわが脳髄は、つくづく哀れである。ただ今回にかぎれば、かつての迎え火や送り火を焚く光景が、例年になく懐かしく甦ったからである。いや実際には、懐かしさは去年くらいまでであり、今年は格別つらく甦っている。なぜなら、おととし(一昨年)あたりまでは、主だって迎え火・送り火を焚いていたふるさとの長兄は、二年近くの長患いののちに今年は、初盆というあの世の言葉を恩着せがましく着せられて、迎えられたり、送られたりする精霊の仲間入りをしてしまった。すでに精霊と化している父や母、異母や異母きょうだい、さらには亡き長姉、妹、弟たちは、「待っていた、よく来た」と言って、うれしがるはずはない。七月盆の入り日にあって鎌倉の夜明けは、シトシト降りの雨である。しかし、わが心中の雨は、(ゴーゴー降り)の雨である。ふるさとは、雨嵐の夜明けであろうか? 雨嵐をついて、迎え火など焚かないでほしいと、願うところである。なぜなら、わが心中にあって長兄は、「しずよし。ひぐらしの記、よう長く、書くばいね! おれの自慢たいね…」と言って、微笑んで生きている。

雑念

生きることは哀しい。ならば、死ぬことは楽しいか❕ まだそれはわからない。

二度寝にありつけない、祟り

七月十二日(火曜日)、起き立ての私は意識朦朧としている。おのずから、文章を書く気分は萎えている。すっかり私には、二度寝にありつけない状態が常態化している。もとよりつらく、困ったものである。二度寝にありつけないとき人は、いろんなおまじないを試みる。心中で羊を「一匹、二匹」と、数えたりする人もいる。こんな幼稚なことで二度寝にありつけたらしれたもの! 悩むことなどない。もちろん私も、いろんなおまじないを試みている。ところがどっこい、二度寝にありつけるどころかいっそう深みに嵌ってゆく。そして、桃源郷と思える睡眠時間はいたずらに過ぎてゆく。焦りをともなって、なおさまざまなおまじないを試みる。しかし、埒(らち)明かずで、瞼が閉じるどころかますます目が冴えてくる。ならばといや仕方なく、いつもであれば枕元に置く電子辞書へ手を伸ばす。ところが昨夜は、電子辞書にすがることなく、心中に浮かぶままに言葉の復習を試みた。いやそれには、認知症状有無のテストを兼ねていた。実際には事の始まりを表す語彙のなかで、漢字によるものを浮かべていた。ふと浮かんだのは、起源、原始、源泉、発端、開会、開始、始業、開業、開戦、創業、創立、開闢(かいびゃく)、濫觴(らんしょう)、嚆矢(こうし)などであり、わが脳髄の限界を知ることともなった。もちろん、キリなくあるであろう。人間であれば身近なところで、誕生、生誕、生年などが浮かんでいた。これらの中から二つだけ取り出すと、偶然にもきわめて都合の良いものがある。すなわち、母校中央大学の創立年と父親の誕生年が共に、明治18年(1885年)である。母校に限らず学び舎は、周年事業や周年祝典などが盛んである。そしてそれらは、毎年めぐって来る。すると好都合に、そのたびに私は、父の面影をありありと偲んでいる。確かに、二度寝にありつけないことに棚ぼたはない。しかし、もしあるとしたら、こんなことであろう。まだ、朦朧意識と気分の萎えは収まっていない。自力叶わず私は、夏の夜明けの清々しさに気分直しを求めている。

書かずにはおれない!

 今朝の前田さんの投稿に、私は元気百倍をもらった。奥様の積極的な生き方に
拍手喝采を送った。なんという素晴らしい心意気だろう。これこそ介護をしてい
る配偶者の励みでもある。前田さんはこんな明るい前向きな奥様とともに歩かれ
ていることは幸せである。
 過日のことだったが、前田さんにお電話する機会があった。電話口に出てこら
れた奥様の温もりのある美しい声に、私は思わず「お若い!」とつぶやいていた。
その声に心が癒やされていた。
 奥様はカラオケが大好きで、しかも見事な歌唱力とのことは、「ひぐらしの記」
でも何度も書かれていて、おなじみである。それにしても本当に若々しく美しい声だった。

偕老同穴

七月十一日(月曜日)、もちろん「ひぐらしの記」の継続を断ちたくないためではない。しかしながら敢えて、書きたくないことを書き出している。わが気分は萎(な)えている。いや、気分をつかさどる「心」自体がすっかり萎えている。きのう(七月十日・日曜日)は、心寂しい一日だった。参議院議員選挙は、まったく関心なく済んだ。それよりなにより、私は妻の歩行をおもんぱかって、端(はな)から棄権を決め込んでいた。ところが、当てが外れた。言い出しっぺは妻である。「パパ。選挙へ、行きましょうよ」。こんなぐあいだから、わが心の寂しさは、選挙(開票)結果の良し悪しや是非のせいではない。それは、これまでであれば投票動作を含めて、投票所往復歩行で三十分程度だったのものが、二時間近くもかかったせいである。妻は杖をついている。歩いては立ち止まり、再び歩き出してはすぐに立ち止まる。私は妻の傍らというより、背後にぴったりとついて、妻と寸分違(たが)わぬ歩行を繰り返している。炎天下のせいというより、妻の歩行を見遣る切なさで、わが額にも汗がにじんでくる。妻は息切れ「フーフー」に、何度もマスクはずれの顔面の汗を拭いている。まぎれもなくわが夫婦は、人生の終末期を歩いている。これに同居する「ひぐらしの記」は、おのずから擱筆(かくひつ)間近にある。このところの私は、短い文章の願望にある。願ったり叶ったりきょうの文章は、飛びっきり短い文章で書き締めである。きのうを引きずり、きょうもまた心寂しい一日なりそうである。いや、心寂しさは、きょうで打ち止めとはならず、この先、日を替えていや増してくること請け合いである。四字熟語の「偕老同穴(かいろうどうけつ)」は、言葉の意味そのものはきわめて易しいけれど、実践するのは至難のわざである。朝日がのどかに輝いている。確かに、いくらか萎えている心の賦活剤にはなる。しかし、自然界すがりの一時しのぎの対症療法にすぎない。要は、わが頑張りのしどころである。書くまでもないことを書いて、妻に済まない。

ちょっと自惚❗

このところは、いくらかましな文章が書けている。他人評価ではなく、不確かな自己評価にすぎない。

夏の醍醐味

七月十日(日曜日)、雨はないけれど舗面の濡れた夜明けが訪れている。このところ昼間、暑さが遠のいて、早や秋の気配さえ感じる夏の朝である。あんなに人が、声高に「暑い、暑い!」と、唱和していたのに、暑さはまぼろし状態の感さえある。七月盆を迎える来週あたりには、夏本来の暑さが戻るであろうか。夏に暑さが遠のくことは、うれしさ半分、寂しさ半分である。いくらかやせ我慢のきらいがあるけれど、半分は本音である。寝起きの私は、夏の醍醐味を浮かべていた。それらをランダム(順不同)に書けば、私の場合にはざっとこんなものがある。私の場合と限定したのは、もちろん人それぞれに、かつさまざまに異なるからである。このところ、わが買い物用の大型リュックには、必然的にトウモロコシが入っている。嵩張らないものでは、ミョウガ入っている。好きな冷ややっこに添えるためである。キュウリ、トマト、ナスは、夏の買い物の定番品である。夫婦共に、旬(しゅん)の夏野菜三品を好むからである。果物では出盛りを過ぎたサクランボから、出回り始めた桃に切り替えている。大好物の西瓜は、指は咥えないけれど、垂れそうな涎(よだれ)をグッと吞み込んで、我慢を続けている。理由は、それだけで手に負えないほど重たいからである。ただ、この我慢も、来週のわが誕生日あたりには解禁を目論んでいる。好物の我慢の息切れのせいである。かき氷はこれまた我慢というより、こちらは諦め(見切り)の境地にある。新店にゆらめく馴染みの「氷旗」に誘われて、まるでお上りさんの如くに恐る恐る陳列棚を眺めたら、800円と表示されていた。(このやろう!)とは叫ばなかったけれど、叫びたい気分だった。確かに、いくらかのケチ心はあるけれど、私はかき氷には見栄の良い余分な飾り物は望まず、山もりの三角帽子に赤、緑、黄色、どれかの蜜かけくらいでいいのである。それなりに値段も、安価なものである。なぜなら、かき氷を食べるのは嗜好のほかに、いっとき童心を蘇らせるためである。ならばやはり、たったの一度くらいは食べて、行く夏を惜しむ、ような至境にありつきたいものではある。だから大袈裟に言えば、800円のかき氷を虎視眈々と狙っている。もとより成否は、わが決断しだいである。食い意地張って、夏ならではの好物の食べ物をつらつらと書いた。確かに、キュウリ、トマト、ナスは、夏限定ではない。しかしながらこれらには、あえて旬という言葉を添えている。この言葉こそ、みそである。繰り返しになるけれど食べ物以外で夏の醍醐味として浮かぶものでは、冬布団はもとより薄手の夏布団さえほぼ用無しと、着衣の軽装がある。とりわけ、風呂場における脱衣の容易さは、飛びっきりの夏の恩恵である。これらに、夏の朝、夏の夕暮れ、昼間の木立の風、夜間における網戸から忍び込む風の涼しさなど、夏の風の恩恵はキリがない。雨の場合は、一雨ほしいときに降る雨、日照り雨、夕立の恩恵が際立っている。きょうもまた、だらだらと長い文章を書いた。しかし、夏の醍醐味、すなわちわが夏三昧のことゆえに、いつもとは違って疲れはない。いや、精神高揚してまだ書き足りないくらいである。こんな文章を書いても、人様から「おまえは、空(うつ)け者」(バカ者)とまでは言われまいが、天邪鬼(あまのじゃく)とは言われそうである。それでも書かずにはおれなかった、わが感ずる主だった「夏の醍醐味」の面々である。