3月8日(水曜日)、桜前線北上中にあって、寒気が緩んでいる。春が来て、自然界が恵む飛びっきりの日暮らしにある。しかしながら一方、ゆめゆめ気を許せない、名残雪、寒の戻り、憎たらしい春に嵐の季節でもある。それゆえに、のんびりと桜前線を待つ気にもなれないところはある。季節変わりは、おのずから体調変化にも見舞われる。春、油断大敵と心すべきある。幸いなるかな! 私自身は免れているけれど、目下、多くの人が花粉症に悩まされる季節である。確かに、わが家周りの山からも日中、目に見えてスギ花粉が飛びちらついている。それでも花粉症にならないのは、私自身、杉山育ちゆえのせいかもしれない。案外、仲間にたいする施しみたいに、杉にたいする耐性ができているのかもしれない。生誕地は、里山および遠峯にわたり杉(杉山)だらけであった。すでにこの世にいないふるさとの長兄は、村中で唯一の製材所の加勢仕事で、杉苗植え付けに精を出していた。なぜか? 当時は、花粉症という言葉さえなかった。これらのことを鑑みて私は、今なお花粉症の真犯人がスギ花粉を散らかす杉(杉山)とは到底思えない。いやむしろ杉(杉山)は、冤罪を被っているのではという、疑念に取りつかれている。子どもの頃の私は、家事手伝いの中心として、しょっちゅう杉山に入っていた。一つは、薪取りとして枯れ落ちた枝木を集めて縄で縛り、肩にしょって持ち帰っていた。一つは、枯れた杉の葉を拾い籠に入れて持ち帰り、日々の風呂沸かしや竈(かまど)の焚きつけ用にしていた。生活資材にかかわらず、見晴るかす杉(杉山)、日常生活における無償の絶景を恵んでいた。これらのほか杉(杉山)は、メジロ落としや山鳥の罠掛などでも、子どもの私を愉しませてくれていた。言うなれば当時の杉(杉山)は、わが家の生計を助け、わが子どもの頃の家事手伝いと遊楽の一角を成していたのである。これらの切ない思い出があってか私は、花粉症におけるスギ花粉真犯人説には、今なお異議を抱いている。いや異議は、恩恵を享けた杉(杉山)にたいする、憐憫の情沸くわがありったけのエール(応援歌)である。花粉症に悩まされる人からは、鼻持ちならぬこととして、大きな罰を受けそうである。しかしながら書かずにはおれなかった、杉(杉山)にかかわる切ない思い出である。桜便りは、花粉症の季節でもある。マスクの着用は、コロナ感染防止だけとはかぎらない。身勝手すぎる、かたじけない文章を書いてしまった。起きて、ネタ不足のせいである。