前田静良

ひぐらしの記

生と死

七月二十四日(日曜日)、清々しく夏の夜明けを迎えている。顧みれば一年前のこの日は、「東京オリンピック」の開幕日だった。新型コロナウイルスの蔓延下にあっては、世論騒然とする中での異様きわまりない開幕式だった。オリンピックがどうのこうのと言うよ...
ひぐらしの記

再びの「雑念」

「もう、書きたくない。もう、書けない。もう、止めよう」。現在のわが偽りのない心境である。ところが、書いている。しかも、このところは、長い文章を書いている。それは、一度目覚めると二度寝にありつけず、そのため、たっぷりと執筆時間があるせいである...
ひぐらしの記

四度目のワクチン接種事情

七月二十二日(金曜日)、現在は夜明け前とも言えるし、四時前とも言える。寝床から抜け出してきたばかりである。きのう(七月二十一日・木曜日)は、予定されていた四度目の新型コロナウイルス対応のワクチンを左上腕に打った。「良薬は口に苦し」。現在はさ...
ひぐらしの記

ワクチン

七月二十一日(木曜日)、新型コロナウイルス対応の四度目のワクチン接種日である。しかしながらワクチン効果は、気休めにもならない程度のもののようでもある。なぜなら、ワクチン接種者の感染報道が絶えない。同時に連日、感染者数のぶり返しが、過去最多の...
ひぐらしの記

ようやく、夏の訪れか?

七月二十日(水曜日)、まもなくどっこさと朝日が現れそうな夜明けである。しかしながら、いまだ本来の夏の朝とは言えそうにない。「弘法も筆の誤り」。大空模様を寝ずに寸刻も空けず観測する名うての気象庁が、ミスするわけはないとは思っている。しかし、本...
ひぐらしの記

天与の恵み

七月十九日(火曜日)、起き立ての風は、早や秋の風である。窓ガラスを網戸にすると、ひやりと冷感をおぼえる風がどどっと、吹き込んだ。  想像上の鬼は、人間の難敵である。いたるところで悪さをする。まさしく悪魔である。漢字の成り立ち、すなわち「魔」...
ひぐらしの記

八十二年の来し方、一部回顧

七月十八日(月曜日)、二度寝にありつけず起き出してきて、朦朧頭で八十二年の来し方を顧みる。親兄弟がかける愛情には、まったく不満や不足はない。なかったと言いきらなかったのはひとり、至上の愛情を持つ次兄が生存中ゆえである。親類縁者との交流は常に...
ひぐらしの記

ごちゃまぜの文章

七月十七日(日曜日)、またもや朝日の見えない夜明けが訪れている。本当に梅雨は明けているのであろうか。気象庁は大きなミスをしでかしているのでは? と、勘繰りたくなる。このところ、ぐずついている天気のせいである。  さて、八十二年生きてきて、い...
ひぐらしの記

しがない作者の、これに尽きる冥利

七月十六日(土曜日)、未だ明けきれない夜明けにあって、生々しく舗面を濡らしている、どんよりとした梅雨空が視界を覆っている。それゆえ、清々しい夏の夜明け、夏の朝ではない。きょうは、七月盆の最終日、すなわち送り日(火)である。掲示板上にはおとと...
ひぐらしの記

わが命(人生)、八十二年

きょうは七月盆のさ中の七月十五日(金曜日)、父と母の面影を眼前に浮かべて、とびっきり懐かしく偲んでいる。わが人生に「悔いはない」、とは言えない。いやずばり、「悔いがある」と言えば、面影の父と母を悲しませたり、蔑(さげす)むことにもなる。だか...