ひぐらしの記

ひぐらしの記

嗚呼、無題

十一月二十一日(日曜日)、現在のデジタル時刻は、日を替えたばかりの「0:32」と刻まれている。これから床に就くのではなく、いや目覚めて二度寝を妨げられて、しかたなく床から抜け出して来たのである。わが人生を一つだけの成句を用いて表現すれば、最...
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中冬の陽射し

十一月二十日(土曜日)、季節は初冬から中冬へめぐる。この秋は悪天候に見舞われて、胸のすく秋晴れは少なく、私はせっかくの好季節にあって消化不良をおぼえていた。ところが、カレンダーに立冬(十一月七日・日曜日)と記されると、後れて秋晴れみたいな好...
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後ろめたい「安楽」

遊び心のつもりのズル休みが休み癖となり、現在の私は、再始動不能状態に陥っている。ほとほと、いやいや根っから、私は怠け者である。この体(てい)たらくぶりはだれかれへというより、自分自身に詫びなければならない。それに先立ち、わが怠け心を諫(いさ...
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早鐘、乱れ打ち

きのうは「七・五・三」(十一月十五日・月曜日)だった。文章はズル休みした。「七・五・三」にあって文章を休んだのは、間違いなく初体験である。しかも、弁解の余地ないズル休みだった。このところの私は、日課とする道路の掃除さえ、ズル休みがちになって...
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戸惑いをおぼえた「東京行」

きのう(十一月十三日・土曜日)は、次兄宅(東京都国分寺市内)へ向けて、久しぶりに電車に乗った。夜明けのころには強い寒気が訪れていた。そのぶん、出かけるころの大空には、満艦飾に日光が輝いて、またとないほどの初冬の好天気だった。その下でわが気分...
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心身震える、夜明け前

人生晩年の日常生活は、こんなものだろうと、諦めきってはいる。しかし、悟りきってはいない。こんなものとは、息苦しい日常生活である。きょう(十一月十三日・土曜日)は、早立ちで東京へ向かう。コロナ禍のせいで自粛を強いられていたため、久しぶりの次兄...
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とてもつらい、私事

きのう(十一月十一日・木曜日)は、義父と義母の合わせ法事(回忌)に出向いた。共に、永別の日から長い歳月が過ぎていた。それぞれを偲ぶ和みはあった。一方では、悲しさがぶり返した。菩提寺は鎌倉市に連なる逗子市に隣接する、神奈川県三浦郡葉山町に存在...
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罪つくり、「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」

十一月十日(水曜日)、きょうもまた書くまでもないことを書いている。もはや、病と言えそうである。わが文章はマイナス思考の塊であり、もとより自分自身の気分は殺がれ、さらにはご常連の人たちの意気をも阻喪している。このことでは人様に悪さをしているこ...
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悪夢だけが旺盛

長い夜にあって、就寝から目覚めにいたるまで、夢見に晒され続けていた。もちろん、年老いて見る夢は、子どものころに見ていた夢とは、まったく異質のものである。夢見には目覚めて気分の良いものと、悪いものとに大別される。あるいは、みずからの人生行路に...
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「立冬」

一年の季節のめぐりは、春・夏・秋・冬と分けられる。四区分は、総じて四季と称される。それぞれには経過に応じて、おおむね「初・中・晩」という、言葉(文字)が添えられる。おおむねと記したのは「初」にかえて、「早」という言葉が用いられるゆえである。...