ひぐらしの記 言葉の使い分けに悩まされている 六月二十二日(水曜日)、参議院議員選挙はきょう告示され、来月(七月)十日が投開票日となっている。これに先立ちきのうは、テレビにおいて党首討論が戦わされていた。しかしながら私は、聞き耳を立てることなく、リモコンスイッチでチャンネルを切り替えた... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 『夏至』 「夏至」(六月二十一日・火曜日)にあって懐郷、「内田川」の水面(みなも)の上や、出来立てほやほやの水田上空を飛ぶホタルは、すでに舞い姿を納めているのであろうか。それでも、ホタルに付き纏う思い出は尽きない。子どもの頃の遊び仲間のホタルにたいし... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 もう、送稿テストではないけれど… 六月二十日(月曜日)、「夏至」を明日にひかえた、雨のない夜明けが訪れている。窓ガラスを通して見えるアジサイは、彩り七変化(しちへんげ)に見頃を誇っている。現下、日本列島の梅雨の季節にあってこれまでのところ雨は、大過なく梅雨明けへ向かっている... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 再びの送稿テスト 六月十九日(日曜日)、きょうもまた私は、再びの送稿テストを試みている。そのため、くたびれもうけを避けるため、おのずから長い文章は、自制を決め込んでいる。ただし、夢遊病者の如くにヨレヨレの書き殴りのため、この決意の決着は私自身、まったく不明で... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 送稿テスト 命の終焉近くになってまで、わが身を思い、悩み患うのは、愚の骨頂とは知りすぎている。六月十八日(土曜日)、浅い夜明けの起き立ちにあって私は、わが生涯におけるいろいろ、さまざまな悔いごとを浮かべている。それらの中には生来ゆえに、悔やんでもどうに... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 小さな幸福 六月十七日(金曜日)、梅雨時、すっかりとは明けきれない夜明けが訪れている。おとといの夜、二度寝にありつけず起き出して書いた短い文章は、わが心象に飛んでもない僥倖をもたらした。きょうもまた、二度寝にありつけず、起き出して来たまま書いている。し... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 三つ巴の友愛がもたらした僥倖 神様は、初詣、賽銭、あるいは御百度を踏んで、いくらお参りしたり、願ったりしても、爪の垢ほどのご利益(りやく)さえ恵んでくれない。これに比べて現人神(あらひとがみ)の友人は、祈ったり、強請(ねだ)ったりなどしなくても、わが知らぬところでさりげ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ようやく叶えた、短い文 六月十五日(水曜日)、二度寝にありつけず、仕方なく起き出してきた。「丸山宏子さん」は掲示板へのご投稿はないけれど、『流星群』では親しい投稿仲間である。宏子さんの旧姓は「松本」である。渕上先生の名簿帳の点呼にあっては、わが名・前田の次に、「松... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 思い出の「わっこ(アマガエル)物語」 六月十四日(火曜日)、梅雨の合間らしい、今にも降り出しそうな雨空の夜明けを迎えている。起き立の私は、きょうこそ短い文章で閉じたい思いに駆られている。しかしながらいつもの殴り書きゆえに、この決意の結末は、みずから知らぬが仏である。竹馬の友・ふ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わがなさけない、懺悔 きのうは苦心惨憺しながら、だらだらと長い文章を書いた。もちろん、疲労困憊に見舞われた。きわめて独り善がりの文章だったゆえに、読んでくださる人は限られる。もとより、痛しかゆしのところである。それゆえ、本来の掲示板から背くところもまた、大ありだ... ひぐらしの記前田静良