坂本弘司撮影 ハートマークと誕生日。高橋さん、前田さん、グッドタイミングですね。それにしても粋な計らいの草取りですね。草取りもこんな楽しいアイデアがあれば、嬉しいです。地面を這っての草取りは単調な作業で、何か能率良く作業が進む工夫があればはかどるのかも知れません。皆さん知恵を出し合ったのでしょうね。マンションの皆さんの豊かな心意気が伝わってきます。「ひぐらしの記の誕生日」に合わせて出現したハートマーク、どうか「ひぐらしの記」の執筆者にも「幸あれ!」と祈ります。 6月15日(土曜日)。薄雲を抱いて青く晴れた夜明けが訪れている。体調不調に見舞われている。認知知能も衰えている。きのうは、休んだ。きょうは、私自身がきょうあたりと勝手に決めている、「ひぐらしの記」の誕生日である。だけど、何歳になるのか? 記憶をたどるのも億劫である。唯一の記憶の支えは、書き始めてまもなく、孫の誕生日(7月4日)がきた。現在、孫は高校二年生、来月には17歳の誕生日を迎えるはずである。するとたぶん、「ひぐらしの記」も17歳であろう。「ひぐらしの記」は年を取って、もはや青春時代も終わりかけている。書き疲れて、草臥れるはずだ。おのずから、わが怠惰な心に鞭打つ気力は萎えている。この先、生存できる歳月は短い。だったらまだ、頑張ろうとは思う。しかし、お先は真っ暗である。「ひぐらしの記」、たしか「17歳」の誕生日にあって、歳月の呪(のろ)いに見舞われている。きょうは独り、誕生日祝いを真似て、アルコール無しの駄菓子の餓鬼食いになりそうである。休むつもりの文章は書けばこんなもの! なさけない。 《我が居住マンション中庭にハートマーク出現!!》 (※)マンション1Fの庭は、皆様「庭付きマンションでいいわね〜〜」と思われるかもしれませんが、実は!! 部屋を所有している方のものではなく、”共用部分”で、占有使用権が与えられているだけだそうです!! 大沢先生、望月窯行き、たいへんお疲れさまでございました。 6月13日(木曜日)。田園に立っている案山子(かかし)は、人間に見える。道端に佇む私は、案山子に見える。わが脳髄は、空っぽのほうがましである。だけど、屑がいっぱい詰まっている。もう、こんなことしか、書けなくなってしまった。夜明けは、必ずやって来る。つれて、目覚めれば、文章を書かなければならない。ゆえに、無実の罪で、牢屋に入っている心境である。夜明けの空は、遅れている気象庁の梅雨入り宣言を誘うかのような曇天である。それでも、わが心中の空より晴れ模様である。私は恥を晒して、書くまでもないことを書き始めている。確かに、気鬱症状にはある。しかし、気違いの自覚はない。嘆きながらこんな文章を書いているのは、書き続けることを自らに負荷しているせいである。だったらもう、束縛という箍(たが)を外すべきである。表現を変えれば、「潮時」を敢行すべきである。気違いじみた文章はここで結び、階段を駆け下り、道路の掃除へ向かう。そして、老いた案山子に見間違えられないように、私はせっせと箒を揺らすつもりでいる。山のウグイスだけは鳴いて、同情のいや、哀れみのエールを送ってくれるはずである。加えて、「おはようございます」という、人間の声に出遭えば万々歳である。 6月12日(水曜日)。寝坊した夜明けにあって、朝日がキラキラと輝いている。慌てふためいている起き立てにあって、まったくネタが浮かばない。こんなときは、休めば恥をかくことはない。ところが、パソコンを起ち上げてしまった。気乗りのしない、後の祭りである。だから無理矢理、ネタとは言えない気違いじみたことを浮かべている。それは、きのう感じたことである。わが耳にはほぼ一日中、山のウグイスの鳴き声が聞こえていた。このとき、バカな私は心中にこんなことを浮かべた。私はウグイスの生態、特に身近なことでは日常(生活)を知ることはできない。間断なく大きな声で鳴き続けているのは、一匹であろうか。それとも集団で、時を分け合って、鳴いているのであろうか。鳴き声とて、「ホウ、ホケキョ、ケキョ…」の単調、すなわち一辺倒ではなく、様々に工夫を凝らしている。ゆえに、一匹で鳴ける技能とは思えない。すると、人間界のオーケストラ(楽団)のごとくに、やはり集団でパート(役割)を決めて、鳴き続けているのであろうか。素直と言おうか、バカと言おうか、私はこんなことを心中に浮かべていた。もちろん私は、ウグイスの快い調べに感謝しきりだった。ネタのない夜明けは、常に億劫である。朝日の輝きぐあいからすれば、気象庁の梅雨入り宣言は、月末あたりまでに日延べになりそうである。私はともかく、ウグイスは喜び勇んで、鳴き続けてくれるだろう。おのずから私は、無償で鳴き声に癒される。山からわが庭中へ飛んで来れば、私にはお礼返しに何らかの食べ物(餌)を用意する心づもりはある。しかしウグイスは、老醜きわまる私に怖気(おじけ)ついて、飛んでこない。お礼のしようはない。やはり、ウグイスは「バカ」なのか。子どもの頃の私は、近所の遊び仲間たちと大声をそろえて、ウグイスにたいし「バカ」と、叫んでいた。メジロを囮(おとり)にして籠をかけて、鳥もちを塗った枝を翳しても、ウグイスはたったの一度さえ掛からなかった。ウグイスへの「バカ」の呼称は、その腹いせだったのである。きょうも朝っぱらウグイスは、音調を変えて鳴き続けている。 6月11日(火曜日)。やはり、気象庁の梅雨入り宣言は遅れるのであろうか、朝日がキラキラと輝く夜明けが訪れている。山の法面にわが手植えのアジサイは、艶を湛えて見事な色を成している。しかし、アジサイとて梅雨入り宣言を前にして、気分は穏やかではないのかもしれない。なぜなら、梅雨入りが遅れたうえに、梅雨明けが早くなれば、そのぶん「アジサイのわが世の春」は短く、十分には謳歌できないこことなる。アジサイは雨に濡れてこそ妖艶であり、陽射しに焦げつくような姿は哀れである。すなわちアジサイは、雨のしたたりにとことん濡れてこそ、人間に眼福をもたらしてくれるところがある。アジサイ自身、このことは十分に承知の助であるはずである。ゆえに窓の外に見るアジサイの心境は、泰然に見えていても内心は、穏やかではないはずである。ところがこんなおり気象予報士は、関東地方の梅雨入りは、月(6月)の後半になるだろうと予報した。梅雨入りが遅くなるからといってそのぶん、梅雨明けが遅くなるとはかぎらない。ゆえにアジサイは、気を揉むこととなる。「ひぐらしの記」は、すっかりわが生きている証しの文章だけに成り下がっている。ところがもはや、その文章さえ書けなくなった。なぜなら、わが心象に様々な難事が浮かんでは離れず、こびりついているからである。ひとことで言えば、人生の晩年を生きる苦悩に脅かされて、平常心の喪失状態にある。こんな文章を書くこと自体、その現象の確かな証しである。挙句、書くまでもないことを30分ほど書いて、ここで結文とするものである。もとより、継続文の足しにはならないけれど書いて、いくらか気分の安らぎをおぼえている。道路の掃除はきのうの夕方に終えている。だから、アジサイを眺めながら朝の散歩めぐりをする人たちへの配慮は済ましている。しばし立ち止って、「まあ、綺麗…」と言ってくだされれば、わが気分は癒される。人様すがりのわが人生は、消費期限切れ近くにある。 6月10日(月曜日)。小雨降る梅雨空模様の夜明けが訪れている。気象庁はきのう、四国地方の梅雨入りを宣言した。梅雨空模様を眺めていると、関東地方の梅雨入り宣言もまもなくであろう。梅雨入りに恐れはないけれど、明ければ本格的な夏の季節になる。この点、季節めぐり、いや一年のめぐりの速さには、ただただ恐れて驚くばかりである。6月のカレンダーには、「夏至」(6月21日)が記されている。6月・梅雨の時季にあっての私は、雨の日の多さによる鬱陶しさではなく、半年・一年めぐりの速さ(感)にともなう、気鬱まみれになるところがある。もちろん、気を揉んでもどうしようもないことではある。こんなおり、二枚の写真が気晴らしをしてくれたのである。それは平洋子様のご投稿文から賜った、この時期のふるさと情景に添えられていた写真である。なかでも一枚の写真は、田植えが済んだばかりの美しい水田風景だった。たちまちこの写真は、わが心中にかぎりなく、かつさまざまな過去・現在のふるさと情景をよみがえらしたのである。たった一枚の写真につのる思いは無限大だった。父の顔、母の面影、髣髴とする親類縁者の姿。わが家の田植えは日を替えて、親類縁者との「もやい」(共同作業)だった。仕納場(しのば、農作業用の建屋)に蓆(むしろ)を敷いての昼食どきの楽しさは、田植えの苦労に報いるものだった。晴れた夕暮れには、ホタルが飛び交った。雨の日にはみんな、「蓑笠」や雨合羽を着けた。蓑笠では当を得ない。ふうちゃんは「バッチョウ傘」と記した。私は「バンチョウ笠」と、言っていた。ふうちゃん、ありがとう。おかげで、当時の田植えの風景がきらびやかによみがえっている。きょうの文章は、再びの平洋子様への御礼文と、加えてふうちゃんへのお礼文である。ふるさと慕情がなければ、高齢を生きる価値や甲斐はない。私の場合、梅雨に鬱遠しさはない。梅雨入り宣言を前に、早やてまわしに様々なふるさと情景がよみがえっている。時が経っても、朝日は雲に隠れて、小雨が降り続いている。梅雨は、ふるさと情景を愉しむ季節である。 土砂降りの雨の中、「バッチョウ傘・ミノ姿」で、外からは雨、中からも汗で、ビショビショになりながら、田植えをした子供時代を思い出します。湿度が高く、ジメジメした、梅雨時は大嫌いな季節でした。
今朝の掲示板
「ひぐらしの記」誕生日
♪HIROKIのタレント日記♪
ぼくが住んでいるマンションは、逆コの字型をしていて、画像の通り、中庭があります。
そこに♡ハートマーク♡が出現しました!!
実は、雑草が伸びてきてしまい、今回は、マンション管理組合兼自治会の役員の方と元役員で有志の方が草刈りをしてくださいました。
いつもは、放ったらかし(笑)か1F占有庭(※)の樹木の剪定の時に植木屋さんについでに刈っていただく形をとっています。
ハートマークの部分は、土が固くてなかなか雑草が抜けないところだったそうで、有志の方のアイデアでハートマークになりました♡ 女のコたちには好評だそう♡
ぼくは、仕事が忙しくて(笑)、草刈りは手伝いませんでしたが、ペットボトルの差し入れをさせていただきました(^^)/
ハートマークのところには、花を植えるそうで、今から楽しみにしていますが、その際はまた投稿をさせていただきます♡
ですので、勝手に池を造ったり、樹木を植えたりできません!!
それから2F以上の高層階のベランダも共用部分です。
ぼくは、母の代わりに役員をやった事があるのですが、その時に勉強をさせていただいた次第です。◯大沢先生へ『望月窯だより』の感想です◯
ブドウは、やはり望月窯の土に合っていたのですね(^^)
実がなることを祈っています◯望月窯だより
無実の罪で牢屋入り
ウグイスと私
アジサイの心境、わが心境
よみがえる「ふるさと情景」
雨の内田村を思い出しております。
番所や矢谷は、もう、田植えも終わっているそうですが、我が家の田植えは、母親の実家威から始まり、叔母の番所に下り、それから、原に下って、家の田植えをしました。
もう、そんな事を思い出すこともありませんでしたが、写真を眺めていると、次から次に思い出すことがあり、書き出したら切りがありませんので、ここでは辞めときます。
先生、元気の様子で安心しました。もう、親族は勿論、内田村に交友のある人は誰もおりません。車椅子生活だろうが、自由に動くことができなかろうと、介護される洋子さんにとっては大変な事とは思いますが、教え子の私たちには、先生は生きがいなのです。
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