掲示板

坂本弘司撮影

お花畑の出現

 お花畑のハートのマークの周辺の花々の成長が楽しみです。作業をされた皆さんの笑顔や会話が聞こえてくるようです。

「夏至」

私の重なるミスで、掲示板は汚れていた。ゆえに、心が沈んでいた。掲示板は、大沢さまが綺麗にしてくださった。わが心、晴れ晴れの夜明けである。だったら気分良く、麗しい文章を書きたいところである。しかし一方、私にはそうはいかない歯がゆさがある。それは歳月の流れの速さに気分が殺がれ、なお脅かされているせいである。一言で言えば、人生の終末を生きる高齢の身の、同義語を重ねて「悲哀」である。きょうは「夏至」(6月21日・金曜日)、こんなことに悲哀を感じるようではもはや、私には愉しめる日常はない。知りすぎている言葉だけれど、電子辞書を開いて復習を試みている。【夏至】「二十四節気の一つ。太陽の黄経が90度に達する時で、北半球の昼が最も長く、夜が最も短い。太陽暦では6月21日頃。季語夏。対語冬至」。こちらはスマホを開いて、知りすぎていない言葉の学習である。【summer soistice(夏至)】「至点(soistice)とは1年に2回、天球上において太陽の赤道面からの距離が最大となる瞬間、またその時の太陽の位置をさす語である」。この十日ほど私は、中学・高校の英単語の再学習に戯れている。面目ないけれど、その証しを試みたのである。ネタのない一時しのぎにこんなことに縋れば、またどこかにミスが出ているかもしれない。夜明けの空は、確かな梅雨空である。気象庁は、梅雨入り宣言をミスっているかもしれない。同類と、喜ぶべきであろうか。いや、わが身の浅ましさである。

朝駆けの掃除ののちの文章

6月20日(木曜日)。晴れてのどかに夜明けが訪れている。あすは「夏至」(6月21日)、昼間の長いブービーである。今朝は文章を書くのは諦めて、5時前あたりから道路の掃除を開始した。おとといの雨上がりの道路は、きのうの日照りで、ようやく掃除に耐えた。そうであれば朝早く道路の掃除へ向かうのは、朝の散歩組に人たちにたいするわがしがない気配りである。懸命に1時間20分ほどかけて、いつもより広く長く隅々まで、かつ丁寧に掃除を終えた。普段の散歩組に出遭ったのは、にこやかに挨拶を交わす夫婦連れだけだった。わが朝早い道路の意図は功を奏したのである。加えて、普段は見知らぬ初見のご高齢の男性に出遭った。年恰好は私ぐらいだったけれど、羨むほどに長身かつハンサムな万年青年の人だった。私は挨拶をかけた。同時に、思いがけない言葉が返った。「アジサイ、綺麗ですね。みんなが綺麗と言っていますよ」「そうですか。ありがとうございます。うれしいです。救われます」。私は弾む気持ちで言葉を返した。掃除を終えると、駆け足で二階へ上がり、パソコンを起ち上げ、椅子に座っている。ところが、諦めていた心に息遣い激しく、額の汗を拭きながら書き出している。さらに心は大揺れて、この先の文章は書けない。普段の私は、継続を断たないことだけを念じて、無理して文章を書いている。無理して書く文章はわが意を叶えず、さらにはへま(ミス)に慄くばかりである。挙句、(もう書きたくない、もう書けない)という、気持ちが増幅する。このことは、現在の偽りのないわが心境である。その心境を逃れるために、この文章は20分ほどで、ここで書き止めとする。こんな短い文章であっても、ミスをしでかしているかもしれない。「くわばら、くわばら…、三十六計逃げるに如かず」である。書き殴りをかたじけなく思う、日長ブービーの夜明けである。

ただいま謹慎中

6月19日(水曜日)。きのうは一日中、強雨ならぬ嵐に見舞われていた。なのに、雨は止んで、満天青く朝日輝く夜明けが訪れている。しかし、梅雨の合間の晴れ(好天)とは書けない。実際にはいまだ、気象庁の梅雨入り宣言前の好天(天恵)である。きのうの雨は、たっぷりと各地の水がめ(ダム)に水量を溜めたはずだ。そうであればこの先、梅雨入り・梅雨明け共に宣言なく、本格的な夏になっても、一向に構わない。いや、欲深い私は、それを望んでいる。わが欲のツッパリの証しである。しかし自然界は、人間界と比べればはるかに律儀者である。なかんずく気象は、その筆頭にある。ゆめゆめ、梅雨入りをほったらかしにすることはないはずだ。梅雨入りが遅れて、気を揉むのは気象庁だけである。夜明けの空は、ひときわ明るく光っている。アジサイは雨に濡れて、露を帯びたままに彩り(艶)をいや増している。ウグイスは囀(さえず)り超えて、高音で鳴き続けている。ところが、私はしょんぼりしている。しょんぼりは、このところのミスの多い文章の名残のせいである。ゆえに私は、業(ごう)を煮やし、みずからに謹慎を強いている。この文章は、謹慎の禁を破った雑文である。雑文、かたじけなく思うところである。

梅雨入り宣言間近の夜明け

6月18日(火曜日)。二度寝にありつけずまだ暗闇の中で、眠気眼と朦朧頭に見舞われて起き出している。パソコンを起ち上げる前に窓辺に近づいて、二重のカーテンと窓ガラスを開いた。道路は一基の外灯に濡れて光っていた。それでも飽き足らず私は、右腕を空中に水平に伸ばして、手の平を広げた。数個、雨粒が当たった。確かな、雨降りである。(きょうあたり、気象庁の梅雨入り宣言になるのかな?…)。気象庁はきのう、「九州北部地方」の梅雨入りを宣言した。曖昧な記憶に頼らずとも、わが耳が確りと捉えた事実である。ところが、気象庁の言う九州北部地方(県)とは、実際にはどこをさすのか? わが曖昧な常識はさ迷っていた。わがふるさと県・熊本は、子どもの頃から「中九州」と言われてきた。ゆえに、気象庁に限る(気象庁の定義)九州北部地方(県)を知りたくて、ネット学習を試みた。すると、明確にこう記されていた。すなわちそれには、本州の山口県を加えて、熊本県、大分県、佐賀県、福岡県、長崎県とあった。おのずから北部地方から外れた県は南部地方となり、それらは沖縄県、鹿児島県、宮崎県となる。しかし、沖縄県はしばしば、梅雨入りや梅雨明け、さらには台風などでは、単独に報じられるところがある。私は手間と面倒を惜しんで、気象庁の言う九州南部地方の学習はしまずじまいだった。今となっては、悔やまれるところである。ところが、このことは確認できた。九州南部地方では、すでに6月8日頃に梅雨入り宣言がされていたのである。こんなことを長々と書いて現在の私は、気分が滅入っている。ここまで時が経って、薄い夜明けの空は、大降りの雨模様である。気象庁の関東地方の梅雨入り宣言は、きょうかあすかもしれない。そんなことより、私はスヤスヤと二度寝にありつけることを願っている。

♪HIROKIのタレント日記♪

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《♡ハートマーク♡に花々植栽される!!》
先週6/14(金)付日記の中庭♡ハートマーク♡に画像の通り本日6/17(月)夕方、花々が♡ハートマーク♡に沿って、11か所に植栽されました。
ちょうど、植栽作業終了直後に、元役員で有志の方に1Fでバッタリお会いして(現・役員の方は引き上げていました。)、感謝の言葉を伝えました。
花々は、JA(農協)で購入されたそうです。
具体的な花についての話はしなかったのですが、ポーチュラカとなにかの花です。
ポーチュラカの開花期は、6月〜10月で、高温の方が生育が良く、真夏の日光でも充分大丈夫とのことなので、なんとも嬉しいところです*(^o^)/*\(^o^)/
♡中庭ハートマーク庭園♡のはじまりはじまり〜〜といったところでした♡♡

作者の恥

6月17日(月曜日)。今朝も明るく晴れている。
関東地方にあってはいまだに、気象庁の梅雨入り宣言はない。ちょっぴりは降っても長続きしないから、宣言のしようがないのであろう。職業柄、気象庁に勤務の人たちは、かなり気を揉んでいるかもしれない。だからと言って私は、これらの人たちに同情する、天邪鬼(あまのじゃく)ではない。なぜなら、梅雨入りの遅れは、わが望むところだからである。「すでに、田植えは済みました」という、ふるさと情報は先日、軌を一にして平洋子様と、わが生家を守る甥っ子の奥方より、届いている。田植えが無事に済めばふるさともまた、梅雨入りの遅れは構わない。記憶にないけれど、熊本すなわち九州地方の梅雨入り宣言は、もう出ているのであろうか。夜明けは「来るな!」と、雄叫びしても必ずやって来る。「ひぐらしの記」もこれにあやかり、(休みなく続いたらいいなあ…)と、思う。もとより叶わず、私はべそをかいている。きのうは、休んでしまった。きょうもまた、心折れて休むつもりだった。気象には、心象の緩みや歪(ひず)みはないのであろうか。わが心象は常に曲がりくねって、大揺れ状態にある。ところが私には、これに抗(あらが)う能力(脳力)や気力はない。心折れて心象が揺れては、心象風景に縋って書く「ひぐらしの記」は、たちまちイチコロで頓挫の憂き目を見ることとなる。言い訳がましいことを書いたけれど、きのうの休みは、ほぼそれに近い状態のせいだったのである。おととい「ひぐらしの記」は、17歳の誕生日を迎えた。人間の17歳は、「成人の日」いまだ遠く、青春時代真っ盛りにある。心身はこの先の希望に向かって燃え盛っている。おのずから何かつけて、休むことなど埒外にある。しかし、「ひぐらしの記」、いや作者の私の場合は、そうはいかない。内心、(もう書きたくない)気分に晒されて、あっさり休んだのである。正直なところ私は、夜明けが訪れ、そして寝起きのままに駄文を連ねることに疲れ切っている。このせいで心象が揺らぐと、すぐにずる休みに逃げたくなる。きのうの休みは、確かなその証しだった。「捨てる神あれば拾う神ある」。そんなおりきのう、熊本市に住む「マーちゃん」(ふうちゃんと相並ぶ竹馬の友)から、こんな電話が届いたのである。「ひぐらしの記は17歳なったな、よう書くな…偉いよ。ばってん、きょうは書いてなかったな、何で?」。私は「疲れて、もう書くのは、止めようかと思っている」と、言葉を返した。しかし、やはり励まされて、パソコンを起ち上げたのである。17歳の「ひぐらしの記」は、作者のせいで大恥をかいている。

高橋弘樹様へ、感謝!

いや、月並みの感謝と御礼の言葉だけでは、私のうれしい誠意は表現できません。だから、気持ちにふさわしい言葉を探してみました。しかし、みつかりません。だから、月並みの言葉で甘んじいたします。それでも、感謝と御礼の気持ちは無限大です。わが身にあまるエールを賜り、縮みそうにある命が延びそうです。

高橋さん!

 いつも前向きな貴方にエールを送ります。その生き方を見習いたいです。救われます。大感謝です。

♪大沢先生へメッセージです♪

大沢先生、♡ハートマーク♡の感想の御投稿どうもありがとうございます*(^o^)/*\(^o^)/
もう、先生のおっしゃる通りで、☆前田さんの㊗︎☆『ひぐらしの記』17周年☆㊗︎と合う♡グッドタイミング☆でした♡☆
前田さんには、☆フルパワー噴射☆で御活躍いただきたい☆と思っています(^O^)/