朝駆けの掃除ののちの文章

6月20日(木曜日)。晴れてのどかに夜明けが訪れている。あすは「夏至」(6月21日)、昼間の長いブービーである。今朝は文章を書くのは諦めて、5時前あたりから道路の掃除を開始した。おとといの雨上がりの道路は、きのうの日照りで、ようやく掃除に耐えた。そうであれば朝早く道路の掃除へ向かうのは、朝の散歩組に人たちにたいするわがしがない気配りである。懸命に1時間20分ほどかけて、いつもより広く長く隅々まで、かつ丁寧に掃除を終えた。普段の散歩組に出遭ったのは、にこやかに挨拶を交わす夫婦連れだけだった。わが朝早い道路の意図は功を奏したのである。加えて、普段は見知らぬ初見のご高齢の男性に出遭った。年恰好は私ぐらいだったけれど、羨むほどに長身かつハンサムな万年青年の人だった。私は挨拶をかけた。同時に、思いがけない言葉が返った。「アジサイ、綺麗ですね。みんなが綺麗と言っていますよ」「そうですか。ありがとうございます。うれしいです。救われます」。私は弾む気持ちで言葉を返した。掃除を終えると、駆け足で二階へ上がり、パソコンを起ち上げ、椅子に座っている。ところが、諦めていた心に息遣い激しく、額の汗を拭きながら書き出している。さらに心は大揺れて、この先の文章は書けない。普段の私は、継続を断たないことだけを念じて、無理して文章を書いている。無理して書く文章はわが意を叶えず、さらにはへま(ミス)に慄くばかりである。挙句、(もう書きたくない、もう書けない)という、気持ちが増幅する。このことは、現在の偽りのないわが心境である。その心境を逃れるために、この文章は20分ほどで、ここで書き止めとする。こんな短い文章であっても、ミスをしでかしているかもしれない。「くわばら、くわばら…、三十六計逃げるに如かず」である。書き殴りをかたじけなく思う、日長ブービーの夜明けである。