第二十九回泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞
本書は、表題作の他、「ボルバ行方」「ぼくが木の鳥を削り終える日」「光る鍵」「十八号棟」の四編が収録されている。
著者は、一九七八年に井上光晴の〃文学伝習所〃に参加し、季刊「辺境」に表題作「波うちよせる家」を発表し、「十八号棟」を井上光晴編集の『文学伝習所の人々』(講談社刊)に発表した。その後、活動の場を新日本文学に移し、「ぼくが木の鳥を削り終える日」で新日本文学賞佳作、「ボルバの行方」では新日本文学賞を受賞した。
跋文で松本昌次氏が語っているように、本書は「高度経済成長という魔性の川波に侵食され、亡命者群のごとく、市民社会の片隅に埋め込まれてしまい、私たちの現実からことごとく消えてしまったかのようにみえる労働者。しかし彼等は、おそらく現在も底辺をさすらっているであろう。そうした労働者の運命のことを真剣に考えつづけることこそ私自身の運命」と受けとめ、「自分の中の超管理社会奴隷の粘りつく血を、たえまなく絞りだしつづけていくこと」という著者の格闘がひしひしと読む者の胸に迫って来る。
私はいくつもの不安定な仕事を転々として、やっと老人ホームのボイラーマンという地味な仕事につくことが出来た。私の従兄泉名武郎はかつて医療労働領域のすぐれた活動家だったが、都会の生活に見切りをつけて妻子と共に帰郷した。その彼から一度遊びに来ないかという一通の手紙が届き出かける決心をする。勤務を終えた私は、三日間の有給休暇願いを施設の管理課窓口へ提出しにいかねばならない。仕事で汚れた手足を洗うのに手まどり苛立ち、自転車のハンドルの持ち手が、洗い残した真っ黒いグリスでにちゃついて不快になる。人間の労働の結果として生ずるものにたいして自分がうとましく感ずる反射神経を必要以上に敏感に働かせてしまう。いぜんはそれほどでもなかったのに、この頃はだんだんそれが濃厚になっていく。私は急に自分の中で何かがこわれはじめていくような不安な気分にとらわれだした。
そんな思いの中で私が五年ぶりに出会った彼は、いくらか肥り気味で皮膚も濁り、表情の変化にさいして反応する顔の表層筋の動きも鋭さを失い、曖昧にぼやけていた。
(自費出版ジャーナル第28号)