蜂  起

村 伊作著

 本書は「城下騒動」とも呼ばれる、江戸末期に起った北遠州の百姓一揆の様子を関係文献と現地踏査を元に小説にしたものである。
 万延期は風水害の多かった時期で、とくに万延元年五月には天竜川下流の大出水で付近一帯の田畑は大凶作になり、米価の暴騰をまねいた。
 北遠の山間地方は田畑の少ない貧農地帯で、打ちつづく天災と高米価に耐え難い困窮のどん底に陥った農民の憤激は、米の買い占めや売り惜しみで暴利をむさぼろうとする在郷商人に向けられた。
 遠州北部の深い山中にある四十六ヵ村も深刻な食糧不足に見舞われた。河内村の三役が相談した結果、百姓代仁右衛門が、食糧不足を何とかするため近隣の村々をあたってみることになった。小前百姓五郎三郎は、彼の供をして集落を訪ね回っている時に気田村で小前百姓佐五平に声をかけられた。佐五平は二人に向かって、下々の百姓が困っているのに、おおかたの村で三役らはそ知らぬ顔をしている。このままじゃ早晩みんなの暮しが立ちゆかなくなるとまくしたてた。仁右衛門は相手にしなかったが五郎三郎は彼の言葉を振り切ることにためらいがあった。
 その後佐五平は、五郎三郎の家を訪れて自分の家の納屋で寄合を開き、村の窮状を救うために立ち上がる相談をするので参加して欲しいと頼む。五郎三郎は、自分に目をかけてくれる百姓代の仁右衛門に迷惑がかかることは出来ないと躊躇するが、佐五平の熱意に心が動く。
 やがて五郎三郎は佐五平と心をひとつにして四十六ヵ村の農民の代表をまとめて立ちあがる。はるばる山を越え、南部の城下村の問屋へ食糧救援を頼みにいくのである。
 ──河内村が舟木集落前の川原に着くと、すでに二十村程がきていた。ぐるりの山山のひだはまだ暗いが、上空は白く、霧も出ていないので流れも広い川原も見通せる。少なくて二十人、多いところは五十人位の群れがあちこちに散っている。
 五郎三郎は、長吉に仲間を託し、散るなかへ入っていった。一様に蓑をつけ、菅笠をかぶり、草鞋をはいた男達が玉砂利に尻をおろして、談笑し、額を寄せ合っている。近づいては顔を確かめた。かなりの年配者もいる。(本文より)
 天竜川上流の気田川に沿って秋葉山道を南下してきた農民一揆の集団は、途中の村村で多くの参加者を加え、雪達磨式にその勢を増していく。
 本書は三五二頁の長篇で、登場人物の数も多いが、それぞれの人物の性格や特徴がよく表現されて、作品の魅力になっている。五郎三郎、仁右衛門の誠実な人柄は好感がもてるが、茶椎茸問屋の主人遠州屋重太夫や郡奉行、代官などの登場によって、作品はより一層奥深いものになっている。

(自費出版ジャーナル第42号)