ひぐらしの記

ひぐらしの記

人間に負荷されるもの、それは努力!

冬季・北京(中国)オリンピックは、会期の終盤戦にさしかかっている。「Japan」に限らず、各国アスリート(競技者)の活躍に日々ありつけているのは、わが「生きる幸福」の一つである。  不幸にも、金・銀・銅のメダル、あるいは入賞には至らずとも、...
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恥ずかしや、無題

きのう(二月十二日・土曜日)は、住宅地内に新たに開業されている歯科医院に初めて出向いた。しかし、これまでのかかりつけの医院から、鞍替えとなるかの決断は先延ばしにある。とりあえず、近いゆえの利便を優先したのである。歯の痛みは市販の鎮痛剤でかな...
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色褪せた「結婚記念日」

歯の激痛に見舞われて耐えきれず、きのうの文章は頓挫した。まさしく、七転八倒の痛さに取りつかれて、男涙が瞼を濡らし続けていた。きのうは「建国記念日」(二月十一日・金曜日)であり、掛かりつけの「大船の街」の歯医者をはじめ、最寄りの行きつけの開業...
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二月十日、降雪予報

夜明け前の暗闇にあって、起き出して来るや否や、窓ガラスに掛かる布とレースの二重ねのカーテンを開いた。おおっ、手の甲に雨粒が当たった。すばやく、手を引っ込めた。一基の外灯が照らす、道路に目を凝らした。まだ、雪は降っていない。寒気を表す体感温度...
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ままならない、睡眠生活

きのうは二度寝にありつけて、逆に寝すぎて慌てふためいて、きょう(二月九日・水曜日)へ繋げるだけの文章を書いた。ところがきょうは二度寝にありつけず、長いあいだ悶々として、寝床で夜明けの訪れを待っていた。それでも待ちきれずに、ヨタヨタと起き出し...
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頓挫を恐れて……

「ひぐらしの記」の頓挫期間を顧みた。すると、昨年(令和三年)の十二月十二日に書いて以来頓挫し、今年(令和四年)の二月一日から、ヨロヨロ立ちで書きか始めている。まったくおぼつかない足取りである。この先が思いやられるところである。確かに、文章と...
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一陽来復

立春が過ぎて、確かに春は来ている。半面、立春が過ぎたばかりなのだから、まだ冬とも言っていいだろう。むしろこのほうが、感覚的にはぴったりする。  この冬、すなわち令和四年のこの冬は、飛びっきりの寒さに見舞われている。日々、伝えられてくる北の地...
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太陽光線、礼賛

昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは...
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日向ぼっこ

茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢...
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立春

寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて...