ひぐらしの記 天与の恵み 七月十九日(火曜日)、起き立ての風は、早や秋の風である。窓ガラスを網戸にすると、ひやりと冷感をおぼえる風がどどっと、吹き込んだ。 想像上の鬼は、人間の難敵である。いたるところで悪さをする。まさしく悪魔である。漢字の成り立ち、すなわち「魔」... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 八十二年の来し方、一部回顧 七月十八日(月曜日)、二度寝にありつけず起き出してきて、朦朧頭で八十二年の来し方を顧みる。親兄弟がかける愛情には、まったく不満や不足はない。なかったと言いきらなかったのはひとり、至上の愛情を持つ次兄が生存中ゆえである。親類縁者との交流は常に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ごちゃまぜの文章 七月十七日(日曜日)、またもや朝日の見えない夜明けが訪れている。本当に梅雨は明けているのであろうか。気象庁は大きなミスをしでかしているのでは? と、勘繰りたくなる。このところ、ぐずついている天気のせいである。 さて、八十二年生きてきて、い... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 しがない作者の、これに尽きる冥利 七月十六日(土曜日)、未だ明けきれない夜明けにあって、生々しく舗面を濡らしている、どんよりとした梅雨空が視界を覆っている。それゆえ、清々しい夏の夜明け、夏の朝ではない。きょうは、七月盆の最終日、すなわち送り日(火)である。掲示板上にはおとと... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 わが命(人生)、八十二年 きょうは七月盆のさ中の七月十五日(金曜日)、父と母の面影を眼前に浮かべて、とびっきり懐かしく偲んでいる。わが人生に「悔いはない」、とは言えない。いやずばり、「悔いがある」と言えば、面影の父と母を悲しませたり、蔑(さげす)むことにもなる。だか... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 生煮えの夏 七月十四日(木曜日)、朝日の見えない夜明けが訪れている。このところは、曇りや小雨模様の夜明けが続いている。それゆえ、夏の朝の醍醐味は薄れかけている。夏の朝にかぎらず、私は夏の夕暮れも大好きである。ところがこちらも、夏らしさが遠のいている。確... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ふるさとは「七月盆」 常に、就寝時に枕元に置いたり、かつては外出行動時において携行していた電子辞書は、わが貧弱な脳髄を見るに見かねて補う、役割をになっている。しかし、とりわけ買い物の帰りには、重たいという難点があった。それゆえにガラケーをスマホに替えたのちには、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 二度寝にありつけない、祟り 七月十二日(火曜日)、起き立ての私は意識朦朧としている。おのずから、文章を書く気分は萎えている。すっかり私には、二度寝にありつけない状態が常態化している。もとよりつらく、困ったものである。二度寝にありつけないとき人は、いろんなおまじないを試... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 偕老同穴 七月十一日(月曜日)、もちろん「ひぐらしの記」の継続を断ちたくないためではない。しかしながら敢えて、書きたくないことを書き出している。わが気分は萎(な)えている。いや、気分をつかさどる「心」自体がすっかり萎えている。きのう(七月十日・日曜日... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 夏の醍醐味 七月十日(日曜日)、雨はないけれど舗面の濡れた夜明けが訪れている。このところ昼間、暑さが遠のいて、早や秋の気配さえ感じる夏の朝である。あんなに人が、声高に「暑い、暑い!」と、唱和していたのに、暑さはまぼろし状態の感さえある。七月盆を迎える来... ひぐらしの記前田静良