ひぐらしの記

ひぐらしの記

ネタ切れを救うのは「望郷」

5月24日(金曜日)。真夜中に目覚めて、二度寝にありつけず、寝床で悶々として夜明けが訪れている。筋肉痛は、すっかり緩解している。ゆえに、不快(感)の一つは消えている。しかし、人生の晩年を生きる私には、まだ多くの不快事がある。ただ、どれもこれ...
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朝が来た

5月23日(木曜日)。曇り空を薄めて、朝日が射し始めている。梅雨入り宣言を控えて、束の間ののどかな朝ぼらけなのかもしれない。ウグイスは、朝っぱらから猛烈に鳴いている。「梅雨入り近し」を体感し、焦っているのかもしれない。気象庁はおととい(5月...
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賜った「感動と刺激」

5月22日(水曜日)。目覚めて、生きています。曇り空の夜明けが訪れています。学童時代の「綴り方教室」がよみがえり、それを真似て幼稚な作文を書きます。題材はきのうのバスの中で遭遇した光景です。 きのうの私は、いつもの買い物の街・「大船」(鎌倉...
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筋肉痛は緩解

5月21日(火曜日)。目覚めると部屋の中には、昼間の光と思わす、満天晴れた朝が訪れていました。満腔は気分よく緩んでいました。ただそのせいで寝過ごし、執筆時間の圧迫を被っています。ゆえに、文章は書けず、諦めました。ウグイスは鳴いています。私は...
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よみがえる、ふるさと慕情と肉親愛

5月20日(月曜日)。雨の夜明けの空を静かに眺めながら生きている。今や「ひぐらしの記」は、生きている証しを表すだけの文章に成り下がっている。なさけなく、恥ずべき状態である。しかし、恥をかくことは厭わない。なぜなら、恥晒しを恥ずかしいと思えば...
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私は幸運児(爺)

5月19日(日曜日)。梅雨の走りみたいなどんよりとした、夜明けが訪れている。つれて、わが気分もどんよりとしている。しかしこの時間、地震さえ起きなければ、わが気分は穏やかである。いつもの寝起きに違わず、ネタ無しでパソコンの起ち上げにある。だか...
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知友、あまた多し

5月18日(土曜日)。のどかに朝ぼらけの夜明けが訪れている。緑を深める山の木々は揺れている。ウグイスの美声を妬むかのように、名を知らぬ山鳥がひと声、鳴いた。邪魔をしたのかもしれない。しかしながらこれとて、自然界および人間界こぞって、平和の証...
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晴れの夜明けの心象風景

5月17日(金曜日)。のどかに晴れた夜明けが訪れている。ウグイスが鳴いている。自然界の恵み横溢の朝である。歳月の速めぐりにあっても、こんな朝であれば毛嫌いすることなく、大歓迎である。やはりわが心身は、自然界の恵みにおんぶに抱っこされている。...
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無題

5月14日(火曜日)。きのうの土砂降りの雨は、どうやら止んでいる。しかし、未だに名残をとどめて、朝日はお出ましにならない。ただ、きょうの予報は晴れである。確かに、前面の窓ガラスを通して大空を眺めていると、いくらかその兆しはある。初夏の好季節...
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休みます

5月13日(月曜日)。夜明けは風雨荒れ模様、私は無念の継続です。きのうの小指のへまに懲りて、そして悔いて、きょうは謹慎に努めます。惰性の頓挫を免れるためにだけで、書いています。薬剤の副作用のためわが肉体は、あちこちが痛いです。能書に記された...