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庭の花

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 冬枯れだった我が家の庭にも、このところの暖かさでようやく花や青葉が少しづつ目立つようになってきました。

春先の憂い

3月2日(土曜日)。パソコンを起ち上げる前に私は、窓ガラスを開いて外の様子を見た。風はかなり強く吹いているものの雨は降っていない。気に懸けていたことが薄らいで私は、椅子に座り机上のノートパソコンを起ち上げた。現在のデジタル時刻は、4:41と刻まれている。心中に浮かんでいたのは、このところの千葉県東方沖(房総沖)を震源とする地震発生のニュースだった。記憶を戻すときのうのNHKテレビニュースは、2月26日からきのう(3月1日)までの間に、房総沖における震度1以上の地震の発生回数を17回と伝えた。加えて、震度5弱程度の地震の発生の恐れがあることを伝えていた。これにちなむ映像にはスーパーなどで、急いで防災用具を買い求める人たちへのインタービュー光景が頻発していた。房総半島(千葉県)は、浦賀水道を挟んで三浦半島(神奈川県)のごく近い対向にある。地域を限らない地震で言えば、房総半島と三浦半島はほぼ一帯を成している。いよいよわが住む神奈川県にも、地震の恐怖が近づいている。そうであれば「くわばら、くわばら」と、呪文を唱えたいところである。さらにはあてにはならないけれど、気休めでも神様にもすがりたいところはある。地震にあって、あてにならないことでは、人間の知恵が生み出す様々な防災用具もまた同じであると、私は常々嘯(うそぶ)いている。それゆえにわが家は、防災用具の買い置きは諦めて用無しである。さて、こちらはわが曖昧な記憶に頼らず、メデイアが伝える引用文にすがっている。【ロート製薬は1日、妊活に対する意識調査「妊活白書」2023年度版を公表した。18~29歳の未婚男女400人のうち「将来、子どもをほしくない」と回答した割合は55.2%に上った。この設問を開始して以来上昇が続き、4年目となる今回初めて半数を超えた。ただ、子どもを望まない人で「授かれる可能性を残しておきたい」とする回答も一定数あった。調査は23年12月に4日間、インターネット上で実施した。男女別では、男性が59.0%で6割に迫り、女性は51.1%だった。初回の20年度調査で子どもがほしくないと回答した男女の割合は44.0%だったが、ここ3年で11ポイント超上昇した。】(共同通信)。私見を記すと少子化傾向の根は、このことに起因していると思っているからである。翻って日本政府の様々な少子化対策は、私には腑に落ちないところだらけである。とりわけ、子どもの人数に応じてお金をばら撒く施策には、私は他人事とは思えない腹立ちをおぼえている。もとより裕福者は、お金に頓着することなく子どもは生む。根本治療と対処療法、すなわち引用文の実態こそ、少子化傾向の根源であり、急を要する根本治療であるはずである。わが気分を映して、夜明けの空はどんよりと曇っている。

大沢先生へ『私の畑』の感想です!!

まったく!! 先生が大切に育ててきた白菜を食べ尽くしたのは、いったい何者でしょうか??
小動物のような気がしますが、個人的には防犯カメラを設置して、正体を突き止めたい気持ちでいっぱいになりました!!
1つだけは無事でなによりでした。

☆☆前田さん☆☆『ひぐらしの記』☆☆順調ですねーー☆☆

まずはじめに、前田さんの風邪の症状が無くなってなによりですねーー(^^)

☆☆『ひぐらしの記』☆☆は、順調ですね☆☆
引用文が長くても、やはり☆☆前田節は炸裂☆☆していて、前田さんのお気づきにならないところで、『絶妙な効果をもたらしている』ように思います☆☆

きょう春3月初日は、強風注意報発令中ですが、晴天でよかったですね◎
いくつになっても少年の心を忘れなければ、前田さんにとって「年老いて」など何処吹く風だと思います!!

きょうも☆☆前田さん☆☆へ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

春3月、初日

きょうから3月(1日・金曜日)。「年老いて」、季節、歳月・日時の速めぐり(感)には、ただただ驚くばかりである。きょうはこのことだけを書いて、ここで閉じてもわが思いは十分に尽くされる。起き出してきてわが心中は、この思いでいっぱいである。あえて、「年老いて」と、書いたことにはこんな理由がある。単刀直入に言えば子どもの頃にあっては、それらのことなどまったく気にせず過ごしていた裏返しである。いや、ちょっぴり季節はともかく、歳月・日時のめぐりなど、まったく気に留めなかった。このことに関しては無関心、子どもゆえの同義語を用いれば、無邪気そして天真爛漫を添えてもいいくらいである。だからこそやはり、「年老いて」という現在のわが身が、惨めさをともなって浮き彫りになる。どうしゃちほこだってあらがっても止めようのない、季節、歳月・日時の速めぐり(感)である。過ぎた2月は節分・立春が過ぎて、春待つ心が沸き立っていた。ところが、カレンダーの日めくりが春へ向かうにつれて、季節狂いの天候不順、実際には雨・風それに付き添う寒気のいや増しに脅かされどうしだった。それゆえに3月への月替わりにあってのわが願いはただ一点、春に見合う正常な季節の訪れだった。ところが現在、この願いは虚しく断たれている。雨戸を閉めていない前面の窓ガラスには、雨だれが幾筋も零れ続けている。傍らの窓ガラスには、雨戸を覆っている。すると雨戸には、まるで間欠泉のごとく的確に、風の音が打ち鳴らされている。共に、雨・風まじりの大嵐の証しである。わが身体は冬の名残なのか、冷え冷えである。わが願い叶わず、季節気狂いのままに、春3月への月替わりである。だからこの先、どんな3月になるのか、わが心身は恐々・びくびくである。きのう、NHKテレビで「茶番、政倫審」を観ていると、二つのテロップが相次いだ。一つは千葉県を主にする地震の発生、一つはドジャース球団所属の大谷選手の結婚にまつわるものだった。なんだかなあーと思う、愛憎入り乱れる月替わりである。薄く、夜明けが訪れた。やはり、大嵐である。

私の畑

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 今日は収穫をしようとベランダのプランタンに育っている白菜のビニール紐を解いてみてびっくり。中味が何物かに食べ尽くされていた。見れば見るほどみずみずしくおいしそうである。白菜の良い匂いもしている。なんと言うことであろう。真冬の寒さを気遣って、ビニールで縛ったところまではよかったのだが、まさかてっぺんの隙間から中へ入って、おいしいところを食べ尽くしてしまっていたなんて。嘘でしょ? と嘆きの言葉が飛び出した。てっぺんが空いていないものは脇をこじ開けての侵入である。幸運にも四つの内一つだけは難を逃れた。餌のないこの時期、なにものかが見つけた幸運だったのだろう。そう思えば、諦めもつくというものか。

2月末日

2月の最終日(29日・木曜日)。私は、様々なことを心中に浮かべて起き出している(3:37)。その一つ、自浄作用というのであろうか。自然界の風は、みずからしでかした罪作りを詫びて、みずから償ってくれていた。それはこのところ続いていた強風が、みずから道路上に汚く振り落とした木の葉や小枝を、わが手をかりずに綺麗に清めていたことである。このことでは、私が日課とする道路の掃除は出番を挫かれていた。いや、この表現は間違いであり、実際には出番を免れていたという表現が適当である。なぜなら、老いの身にあっては掃除をしないで済むことは、大好きな駄菓子を貪るより、ありがたく思うところさえある。風の掃除の仕方は、厭々しながら掃くわが手の出来栄えをはるかに超えて、道路の隅々にいたるまで完全無欠すなわち非の打ちどころはまったくなかった。そのたびに私は、風の冷たさに身震いしながらも道路に立ち、「強風様々の思い」をたずさえて、芥子粒ほどのゴミさえない道路を眺めていた。実際のところは、自然界の織り成す脅威に唖然として立ち竦んでいたのである。浮かんでいたもう一つをあえて書けば、私は文章を書くたびに苦悩に苛まれている。具体的にはネタなど、用意周到にかつ丁寧に浮かべず、常に書き殴っていることから生じている苦悩である。すなわちそれは、文章の出来不出来はともかく、文章を書くかぎりはネタを用意かつ丁寧に書きたい思いに背く苦悩である。そうであれば、苦悩を免れるためには、そうすればいいではないか。自己完結に対する自己矛盾、結局はわが凡庸な脳髄のせい(限界)である。このところ私は、引用文にすがり長い文章を書き続けてきた。そして、途中頓挫を恐れていた2月は、書き続けてきたことだけは果たして、完走の2月末日を迎えている。蟻の穴ほどの、わが小さな喜びである。あすから春3月、春本番にあって、2月の季節狂いは正されるであろうか。わが苦悩もまた、いくぶんでも正されるだろうか。しかしながら願っても、後者の望みは叶えられそうにない。いや、わが身にあって春の訪れは例年、断ちようないわが春愁の訪れでもある。とろあえず、閏月の2月末日にあって、完走をみずから寿(ことほ)いでいる。いつなんどきも書き殴りの文章は、わが身に堪えている。

茶の間のソファに背もたれて

やっと、気象は落ち着きました。自分も落ち着き、嘆きは消えました。 冬の疼きは遠のいて、和らいでいます。ありがとう。

古閑さん、ありがとうございます。

 亡き父が知人からいただいたボタンです。玄関口に植えて、大事にしていたものですから、切らずにいたら、背丈が伸びてしまい、昨年は恐る恐る切りました。
 古閑さん、気付いていただいて嬉しいです。

窮まる「少子化傾向」

2月28日(水曜日)、閏年にあって2月は、あす1日(29日)を残している。現在のデジタル時刻は4:39であり、夜明けは遠くいまだ夜中の佇まいである。きのう荒れ狂った大風(嵐)は止んでいるようで、内外(うちそと)音無しの静寂(しじま)状態にある。両耳に嵌めている補聴器は、寸分たりとも雨戸を鳴らす音は捉えていない。雨の音もしない。風雨共に、止んでいるのであろう。しかしながら、わが身は寒気に震えている。幸いにも風邪の症状は消えている。これなら、引用文に頼らずとも、わが文章が書けそうではある。ところが、この思いに反してきょうもまた、私はメデイアが報じる引用文にすがっている。このところ引用した卓球にまつわる感動編ごときであればわが気分は和むところがある。けれど、きょうの引用文はさにあらず、止むにやまれぬ気分の発露である。それでも、日本の国を取り巻く現下の世相であれば、「わが、知ったこっちゃない!」では、済まされないものがある。【想定より早く進む少子化、昨年の出生数は8年連続で過去最少…婚姻90年ぶりに50万組割れ】(2/27・火曜日、19:48配信 読売新聞オンライン)。「厚生労働省は27日、2023年の国内の出生数(速報値)が過去最少の75万8631人だったと発表した。前年比5・1%減で、過去最少の更新は8年連続となる。婚姻件数は同5・9%減の48万9281組で、90年ぶりに50万組を下回った。婚姻数の増減は数年遅れて出生数に反映されることが多く、少子化は今後も進行すると予想される。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)による昨年4月の推計では、出生数が75万人となるのは35年頃と見込んでいた。少子化は想定を上回るスピードで進んでいる。今回の速報値には日本で生まれた外国人らも含んでおり、日本人のみが対象の確定値ではさらに減るとみられる。確定値は秋に公表される見通し。出生数は、16年に100万人を割り込んで以降、減少が加速している。10年以降では、10~16年の6年間で約8・8%減少したが、16~22年の6年間では約21・1%減った。婚外子の少ない日本では、婚姻数の減少が出生数の減少にほぼ直結する。婚姻数のピークは1972年の109万9984組で、約50年間で半分以下となった。過去に婚姻数が50万組未満だったのは、日本の総人口が6743万人だった1933年(48万6058組)までさかのぼるが、多子世帯が多かった当時の出生数は200万人を超えており、事情は大きく異なる。近年の婚姻数は、2019年(59万9007組)から20年(52万5507組)にかけて約7万組減っており、新型コロナウイルスの影響が指摘されてきた。ただ、22年に前年比で約3000組微増した後、再び減少に転じた。社人研は昨年4月、22年の婚姻数増を考慮し、24年に合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数)が上昇すると予測しているが、出生率が回復基調に乗る可能性は低いとみられる。人口減少も進んでいる。23年の死亡数は、前年比0・5%増の159万503人と3年連続で増加し、過去最多を更新した。死亡数から出生数を引いた自然減は83万1872人で、過去最大の減少幅だった。1947年から3年続いた第1次ベビーブームで生まれた団塊の世代が後期高齢者世代に入りつつあり、死亡数は今後も増え続ける見込みだ」。再び書こう、「わが、知ったこっちゃない!」。しかし、日本の国の少子化傾向が気になり、それを見届けるためになおこの先へ、生き延びたい気持ちはある。だけど、それは叶わず、現在は「知らぬが仏」の気楽な気分旺盛である。やはり、引用文は楽ちんである。30分ほどで済んで、夜明けまではまだ、たっぷりと「時」を残している。半面、気になる夜明け模様を記せないことは残念無念である。2月は1日増えても、大車輪で去って行く。人の世は、過去・現在そして未来も、おそらく無常である。