掲示板

「惰性」、呼び戻しの文章

4月28日(日曜日)。人様のゴールデンウイークを羨むような、妬むような、挙句、旅心を誘われそうな、晴れてのどかな夜明けが訪れている。しかしながら文章は、恥を晒して様にならない。もとより、恥晒しは厭わない。きのう途絶えた惰性を呼び戻すだけが目的の文章を書き始めている。なぜなら、こうしなければ頓挫は、もはや再起不能に陥るためである。ゆえにこれを免れるためには、どんな文章でも書けばそれなりの価値はある。だけどやはり、こんな文章はほとほと身に堪えている。きのうのテレビニュースには、ゴールデンウイークの始まりを伝える映像が頻出した。一つは、「羽田国際空港」における混雑する出国情景である。一つは、渋滞きわまりない下りの「高速道路」の光景である。これらの映像を観た私は、この文章で言葉(語句)選びに悩まされている。すなわち、これまでもそのたびに呻吟してきた語句選びである。それらは漢字特有の語句選びの難解さである。文意にそって浮かんでいたものには、こんなものがあった。場面、情景、場景、状景、光景、風景などである。文章を書く妙味の一つは、文意に即した最もふさわしい言葉や語句(適語)が浮かんだときである。もちろん、そんな感興にはめったに出合えない。ゆえに文章を書くことには、常に苦痛、苦衷、呻吟がともなっている。挙句には(もう書きたくない、もう書けない)気分に苛まれることとなる。きのう私は、その証しを被ったのである。私は、掲示板に「書けません。休みます」と、印してずる休みをした。だからきょうの文章は、その怠惰な心を断つだけが目的化しているにすぎない。それゆに私自身は、文章の不出来は構わず、ここまで書いたことで十分である。そして、あすへ繋がれば万々歳である。身勝手をお許し願うところである。朝日の輝きは増している。きょうの私には、「鎌倉めぐり」の一員に加わりたい思いがつのっている。

古閑さんちのお庭

画像をクリックして、思わず「わぁー」と声が出てしまいました。花の精たちの宴たけなわの中に招待されているようで、いつの間にかメロディを口ずさんでいました。おなじみのモッコーバラもありますね。クリーム色のドレスがかわいらしく映えます。色とりどりの小さな花たちは、まるで宝石をちりばめたように輝いています。そんな花々に囲まれた古閑さんと奥様の笑顔が浮かんできます。清々しい朝をありがとうございます。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

まさに◯春爛漫◯そのものですね!!
素晴しく綺麗です◯◯◯◯◯◯

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

庭師のお仕事、本当にお疲れさまでございました◯◯◯◯◯◯
庭木の個数が多いと、とんでもなくたいへんな事と思いますが、先生の御心中お察し申し上げます。
新しく購入された夏野菜の苗の生長と収穫が楽しみですね♪♪♪♪♪
植え替えられたパッションフルーツの今後が楽しみなところですね♪♪
先生からいただいたパッションフルーツですが、以前に投稿させていただいたまま、蔓が伸びてきましたが、それ以上は伸びてこない状況が続いています。
最低気温が10℃を下回る日はなくなりましたので、今週初めに鉢を暖房のある部屋から、暖房の無い部屋の窓辺へ移しました。

私の畑

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  昨日は庭木が新芽を出して茂り始めたのでにわか庭師のまねごとをした。あまりの繁りようにこの時期は毎年心が折れそうになる。しかし楽しみでもある。ゴミにぎっしり詰め込んだ切った枝葉を玄関先に六袋ばかり並べて、剪定済みの庭木を眺めるのは気分が良い。通るたびに「切らないと」と言う思いが湧くからだ。剪定の時期にやる気が起きるとは限らず、気にしながらいつも時期を逸して花が咲かない羽目になる。
 お昼御飯を済ませて、疲れていたが、買い物の度に花屋の前に並べられている夏野菜の苗が気になって足を止めてながめていたので、思いきって疲れついでに苗を買いに行った。
 ナス、中玉トマト、ミニトマト、ピーマン、キュウリの苗を購入してきて、用意していた鉢に植えた。これでまた夏の楽しみが出来た。
 植え替えたパッションフルーツは、新芽がなかなか伸びない。毎年部屋から外へ出す時期が早すぎて、失敗していたので、今年は慎重に出す時期を待った。しかしその成果はまだ出ていない。

私のゴールデンウイーク

4月26日(金曜日)。また、朝が来ている。しかし、朝模様は必ずしも一様ではない。気象だけでも、晴れ、雨、曇り、強風、嵐を元に、様々な変化をともない、朝が訪れる。山ではコジュケイとウグイスが、高音で鳴き合いを演じている。ところが私は、日替わりにあっても、起きては日々同じような文章を書いている。このことでは私自身飽き足らず、おのずから自己嫌悪に陥っている。こんな気分を免れるには、確かに文章を書かなければ済むことではある。もちろんそれは承知で、常々(もう、書くまい!)と、決意寸前にある。しかし一方、これまた常々、こんな脅しに苛まれている。すなわちそれは、(書かなければ、おまえは生きる屍同然ではないか!)。これにもまた、十分承知するところがある。挙句、それを恐れて書いている。身も蓋もないことを書いてしまい、自分自身に詫びて、ご贔屓のご常連の人様へ詫びている。山は緑を深めている。あすから、先駆けのゴールデンウイークに突入する。物見遊山、手近なところで「鎌倉めぐり」の人の往来が激しくなる。それに備えてきょうの昼間は、人気の「天園ハイキングコース」へ向かう、わが家周りの道路をしなければならない。ウグイスはすでに春先のトレーニングを終えて、行楽シーズンに備えて、日々、本鳴きを高めている。わが家では厄介きわまりない山に棲みつくリスは、近郊近在から出向くハイカーにとっては、旅気分の一興を成して存在価値を高める。これらに交じり私にも、鎌倉めぐりの人たちを歓迎する一員の自覚はある。ならば気分を高めて、道路で出会えば明るい挨拶を心掛けなければならない。それにはまずは、こんな気概のない文章を書く気分を一掃しなければならない。人の世は、自然界の恵みを満喫する好季節の到来である。私も人の子、省(はぶ)かれず便乗した気分山々である。私のゴールデンウイークは、萎えている気分の立て直しが先決である。ゴールデンウイーク先駆けの朝は、のどかに晴れた旅日和である。

気分滅入る、夜明け

4月25日(木曜日)。きのう、一日中ふり降り続いていた雨は止んでいる。しかし、朝日の見えない曇り空の夜明けが訪れている。予報によれば時を追って、晴れになるだろう。きのうは、雨をともなった季節外れの寒さにとことん往生した。だから、きょうの晴れの予報には心待ちする思いがある。昨夜の阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦は、途中降雨による中断もあって、10時近くに終了した。試合開始は夕方の5時半だった。私は妻と共に延々、4時間半ほど見入った。試合結果は5対3で、タイガースが勝利した。しかし、ジャイアンツに勝ったときのような気分のいい勝利感は味わえなかった。なぜなら、ベイスターズはタイガースに次ぐ、贔屓する(ファン)チームである。試合が終わると、慌てて就寝した。やはり、タイガースの勝利は安眠(熟睡)を恵んだ。パソコントラブルに見舞われて、この先を書く気分を殺がれている。ゆえに、ここで余儀なく結文を決意する。タイガースは雨の中で勝利した。けれど、それに酔えない気分の夜明けである。