掲示板

大沢久美子撮影

高橋さんへ

 丁寧に周りを掘って根の状態を確かめてください。細かく細い根がたくさん出ていたら根詰まりです。太くて丈夫そうな根を残して細い根は切り取ると良いと思います。見た目では生きていますね。

大沢先生へメッセージです

IMG_0615-0.jpeg IMG_0616-1.jpeg IMG_0617-2.jpeg

大沢先生、御投稿をどうもありがとうございます。
画像3枚をアップさせていただきました。
葉の色が薄く、ツルが伸びてきても枯れてしまう状況です。
御教示をどうぞよろしくお願い申し上げます。

高橋さんへ

 パッションフルーツのツルが伸びないとのこと、画像をアップしてみてください。もしかしたら植え替えが必要かもしれません。根の状態を見てみるのもいいかもしれません。植え替える土に肥料をまぜるらしいのですが、ネットでいろいろと紹介しています。

大寒

きのうはおとといへ流れ、きょうはきのうへ流れ、あすはきょうへ流れてくる。人生の晩年を生きる者にとっては、止めようのない(あっ)という間である。この流れの中にあって、感情の動物が住む人間社会には、日々、人間のしでかす様々な出来事が起きる。確かに、世の中を明るく潤す出来事も少しはある。しかしながらそれらの多くは、世の中を暗くする事故や事件がらみばかりである。お釈迦様が説く人間社会は穢土(えど)、四苦八苦まみれだという。これに反しあの世は、極楽浄土だという。(だから、あの世を恐れることはない、いらっしゃい!)と、身勝手な説法を垂れて金銭をせしめている。説法が真実であればこの世(現世)は、あの世(来世)に大負けである。しかし、幸いにも嘘っぱちである。寒気の底のきょう、「大寒」(1月20日(月曜日)の起き出しにあって私は、いろんな想い(迷想)を浮かべていた。大寒にあって、雨の予報がともなっていた。ゆえに私は、パソコンへ就く前に、傍らの窓ガラスを開いて外気、雨模様を確かめた。ところが、一基の外灯が淡く灯す道路上には、まだ雨の印しはなかった。しかし、予報が確かであれば、時を刻んだこの先のでどこかで、雨が降り出すであろう。大寒なのに雨の予報のせいなのか、寒気は緩んでいる。きょうのわが夫婦にはそろって、当住宅地内に一院ある、掛かりつけの「S医院」への通院予定がある。ところがこの実行は、寒気は凌げても雨の中では危ぶまれている。なぜなら、歩行不自由の妻の足は、寒気には耐えても雨を嫌うからである。きょうだったかな? 世界は、アメリカ・トランプ大統領の就任式にあって、祝意と共に恐々としている。一方、快事として伝えられているのは、イスラエルとハマスの一時(6週間)、停戦合意である。しかし、韓国は大荒れ、ウクライナとロシアにあっては、いまだ戦争の止む兆しはない。日本社会も政局、フジテレビ問題、そしていまだに兵庫県知事がらみなどで、喧騒を極めている。近づいた「大阪万博」が、スムースにスタートすることを祈るばかりである。きょうは起き立てに心中に浮かべていたことをあえて記した。実の無い文章は、ここで閉じることとする。薄っすらと夜が明けて、あれれ!…、小雨が降り出している。おのずからきょうの通院予定はあすへ延びて、茶の間暮らしになりそうである。

◎大沢先生へ◯パッションフルーツ◯の感想です◎

大沢先生、昨年の季節外れのパッションフルーツの実は、妹様と味わわれて、なによりでしたね♪◯◯◯◯♪
昨年のパッションフルーツの花と実の画像からは、青い空に映えたパッションフルーツの素晴らしさ力強さが伝わってきます◯◯◯◯
今年の収穫も鉢に先生のお声がけがありましたから、本当に楽しみですね♪♪

ぼくの方は、先生からいただいたパッションフルーツは、昨年11月に暖房のある日当たりの良い部屋に移動しましたが、ツルが伸びてこなくて、相変わらずです↓↓
マグァンプKという肥料があって、大粒 中粒 小粒の3種類あるのですが、どれか使用しようと思い、今現在検討中です。

私の庭

2025_01_19passyon.jpg

  昨年の暮れに冬ごもりのために今年伸びたツルを短く刈り込んで部屋に取り込んだパッションフルーツは、室内の暖かさで新しいツルが伸び始めた。それを毎日ながめていると、春にはまだほど遠いけれど、外の寒さを忘れてしまう。今年こそは、外に出すタイミングを間違わないように、確実にツルの成長に適した気候になるまでじっくり待っていようと思う。
 昨年、九月の季節外れに咲いた花が四つ実を結んで、小さかったけれどいつまでも暑かったせいか熟して、あの表現しがたい豊かな香りと甘さを妹と一緒に味わうことができた。
 毎年、季節外れの実は熟さなかったので諦めていたのだけれど、思いがけない温暖化の恩恵をさずかった。そのせいで、げんきんな私は念入りに冬ごもりの作業に専念したのだった。
 もうパッションフルーツの栽培は諦めかけていたのに、俄然やる気が出てきた。
「春が待ち遠しいねー。また、今年も楽しもうね」
 と傍らの鉢植えに声をかけた。
 春よ、こい。早く来いと一生懸命叫んでいる。

嗚呼無常、嗚呼無情

1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。

寝坊助の戯言(たわごと)

「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。