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大沢先生へ『私の庭』の感想です!!

先生にいただいたパッションフルーツの苗、2苗ですが、1苗は、6月下旬だったか?? の天候不順の毎日の影響を受けて、葉をすべて落としてしまいました↓↓
たいへん申し訳ございませんでしたm(_ _)mm(_ _)m
しかし、復活を願って、水やりや日に当てる事は続けています。
もう1苗の方は、以前より大きくなっていますが、まだ蔓は伸びていません。
根付くまで年単位で時間がかかるのですよね。

月下美人、夏に続き秋も楽しめるなんて素晴らしいですね☆☆☆☆☆☆☆

私の庭

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 梅雨のような空模様で「天高く……」は望めそうもない毎日である。私の庭はあの真夏の酷暑で月下美人もパッションフルーツも痛めつけられてしまって、パッションフルーツは花も咲かない。ところが月下美人の蕾が、いつの間にか大きくなっていた。そして、よく見ると、小さな蕾があちこちの葉についている。このまま育ったら、花盛りだ。枯れたようになった葉っぱにも花芽がついている。驚きである。鬱陶しい気候も何のそのである。

休みます

体調崩れて、気分崩れて、心身崩れて、休みます。小休止です。熊本産、東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆選手、50号打ちました。台風11号は前触れ長く、一向に近づきません。気象庁の観測、またミスをしているのでしょうか。ただ、こんなミス、いくらか歓迎です。

梅雨明けは、やはりそうだった

九月二日(金曜日)、私は体調不良に陥っている。それゆえに継続だけを願って、メディアニュースの引用だけで留めるものである。今年の気象庁の早い梅雨明け宣言にたいして、私は「間違っているのでは?」という、一文を書いた。「梅雨は、すんなり明けるはずはない。日本列島のどかに豪雨災害をもたらしたのち、ようやく明けるものだ!」。このことは、過去からのわが体感上あるいは体験上の確かな学習だったのである。ところが、気象庁の梅雨明け宣言後にあって、日本列島のあちこちは、豪雨災害に見舞われたのである。やはり、そうだった。私は確信犯でも愉快犯でもない。しかしながら、当てずっぽうのわが考察に、今、ちょっぴり自惚れている。【気象庁は1日、「観測史上最も早い」とされていた関東甲信地方などの梅雨明け時期について、速報段階の「6月下旬」より約1カ月遅い「7月下旬」に確定したと発表した。「速報値」と「確定値」が変更されるケースは少なくないが、ここまで広い範囲で大幅に変更されるのは初めてだという。】

大沢先生へメッセージです!!

先生、御返事の御投稿どうもありがとうございます。
そうですか、それはたいへんですね!!
なにもしてあげられませんが、先生の一刻も速い御快復を心より願っております。
ぼくのコロナ後の症状ときおり咳き込むは、回数は減っていますが、まだ続いている状態です。

高橋さんへ

 ワクチン接種後、五日が経ちましたが、未だ通常の状態には戻れないでいます。首筋の痛みと注射をした左肩の関節の痛みは、動かすと残っています。何となく体全体がだるいような感じです。回復していると思いますが、無理をしないようにしています。

大沢先生へ『ワクチン接種後の症状』の感想です!!

大沢先生、4回目のコロナワクチン接種、たいへんお疲れさまでございました。
先生の副反応の症状は、コロナ陽性時の症状と変わらないようで、かなりつらい時を過ごされて、心中お察し申し上げます。
実のところぼくは、副反応が怖くて、ワクチン接種はゼロ回遠慮していました。
元々体が弱く、先生のような副反応の症状が出たら、快復までにかなり時間がかかり、その間の仕事を棒にふりたくはない、と考えたからです。
今回のコロナ感染で、免疫力はついたと思いますが、再び感染する可能性もありますので、体が疲れ過ぎないように注意しているところです。

前田さんへ『防災の日』の感想です!!

「天災列島と揶揄される日本の国に住むかぎりは、天災の恐ろしさとそれにたいする備えは肝要である。」
「コロナ禍は、天災と異にする別次元の恐ろしさである。」
まったく前田さんがお書きになった通りですね!!
防災グッズの御購入、なによりですね。
2度目の夏風邪の一刻も早い御快復を心より祈っております。

きょうも前田さんへ大大大大エネルギー &大大大パワーを贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

防災の日

九月一日(木曜日)、夏が去りまごうことない秋の訪れにある。その証しでもあるかのように、久しぶりに気候のさわやかな夜明けが訪れている。ただ惜しむらくは、八月の二度目の夏風邪は治りきらずに、九月へ持ち越している。それでも、憂鬱気分を蹴散らしてくれる天恵である。しかしながら一方、ゆめゆめ油断がならない地震や台風の多い月の訪れである。時あたかも、きょうは「防災の日」である。それゆえに、例年であれば際立って、「天災の恐ろしさとそれに備える防災」が叫ばれる。そして、この日にちなむ「防災訓練」や、いろんな行事も営まれる。ところが、新型コロナウイルスの発生以降は、そちらの対策や報道に明け暮れて、防災の日にかかわる行動や行事は、かなり後塵に拝している。しかしながらやはり、天災列島と揶揄される日本の国に住むかぎりは、天災の恐ろしさとそれにたいする備えは肝要である。九月にかぎらず台風は現在、十一号の号数を数えて、日本列島に向けて北上中である。しかも十一号台風は、史上稀なる大型台風と予報されている。そのうえ、新たな台風の発生が伝えられている。もし、二つの台風が抱き合わせで襲ってきたらと、気象庁はその恐ろしさを伝え始めている。台風は予報付きだから、いくらか身構えることはできる。しかしながら地震には、まったくの無抵抗である。その挙句、国や国民の混乱ぶりは、いかなる大型台風の比ではない。一瞬にして国が滅び、国民の命が絶えるほどの様相(災難)に見舞われる。防災の日とは、ズバリ地震の恐ろしさを忘れてはならないという、警(いまし)めの日である。確かに、いっときも忘れはしないけれど、事前の備えはまったくできずじまいである。それゆえ、最も憎たらしい天災は、ずば抜けて地震である。確かに、コロナも恐ろしいけれど、天災とりわけ地震、台風、豪雨、竜巻、雷、などに及ぶものではない。言うなればコロナ禍は、天災と異(こと)にする別次元の恐ろしさである。きのうは防災の日を前にして私は、もちろん事前の備えではなく、事後対策として名ばかりの「防災グッズ」を買ってきた。何ら役立たずの、お金の無駄遣いとは承知の助である。しかし防災グッズは、お金無駄で、役立たずで済めば、至上の幸運である。すなわち、事後であろうと防災グッズは、役に立っては困るのである。こう心に決めて、「おまじない」のつもりで、いくつかを買ってきた。私はいつなんどきも、天災の恐ろしさは忘れていない。それは、台風にわが家の屋根を飛ばされた痛い体験の教えである。あれ! こう書いているうちにのどかな夜明けは、雨嵐になっている。気が揉む、恐ろしい防災の日である。

八月末日

八月三十一日(水曜日)、台風十一号が北上中のせいなのか、夜明けの空はシトシト降りの雨である。台風は自然界のしわざであり、人間界に罪はない。座して望むところは、できるだけ災難・被害なく、彼方へ遠ざかることである。知りすぎている四字熟語だけれど、電子辞書を開いた。【自業自得】:「(仏)自らつくった善悪の業の報いを自分自身で受けること。一般に悪い報いを受けること。自業自縛」。これと、ほぼ同意義の言葉が浮かんでいる。ズバリ、悪行(悪い行い)の報いである。すなわち、わが悪行の祟りやしっぺ返しである。かなり大袈裟だから換言すれば、実際にはこうである。ほぼ毎日、私は似たり寄ったり、かつ実のない文章を書いている。それゆえの悪の報いは、掲示板に訪れる人様が、だんだん減り気味である。すなわち、わが罪と罰である。もちろん私は、身の程をわきまえず、のぼせあがっているわけではない。なぜなら、掲示板へのわが貢献度はなく、それゆえ罪もない。だから、書くネタなく、言葉遊びにすぎない。きょうは八月末日(三十一日)、よくも似たり寄ったりの実のない文章を書き続けてきたものだと、思うところばかりである。もちろん、反省しきりだけれど、出口への展望はない。このことを恥と思えば、九月への継続は沙汰止みである。二度目の夏風邪はいまだに治りきらず、こちらはなんなく九月へ持ち越しである。シトシト雨は、土砂降りに変わっている。私は、心静かに降りようを眺めている。わが罪と罰を思う、月替わりの嘆息である。