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墓掃除

 今朝は、我が家のすぐ近くにあるお墓のお掃除当番である。数ヶ月に一度グループに分かれている人数でお墓の掃除当番が回ってくる。我が家の墓地はお寺の境内ではないので、昔から先祖代々で受け継がれたままの形で残されている墓を関係する家でお守りしているようだ。というのも、私も嫁いで来てから夫に伝え聞いているに過ぎないのである。
 わが家は徒歩で二十分ほどのところにあるお寺の檀家になっているので、仏事はその寺に頼んである。
 毎月夫の月命日になると、私は家の庭にある草木を持って墓参りをし、掃除をしてくる。春秋の彼岸、お盆、夫の命日には卒塔婆を供える。そんなことを漠然と続けながら、日常をやり過ごしている。
 今年は夫の三回忌である。先日お寺に法事を予約した。

十月一日

月が替わって十月一日(土曜日)、文字どおり中秋から晩秋にかけての、秋たけなわの夜明けを迎えている。朝日は照らず、台風に前触れみたいな風が吹いている。けれど、まずは穏やかな月替わりの朝を迎えている。しかし、わが身の場合は、必ずしも穏やかではない。もちろん、気分もすぐれない。さて、きのう夜明けにあっては、早とちりをしてしまった。すなわちそれは、「鼻風邪は持ち込まずに済んだ」と、書いたのである。確かに、夜明けから昼過ぎあたりまでは、風邪症状は消えていた。ところがこの間は、不完全状態をひた隠しにしていただけだった。なぜなら風邪症状は夕方頃からぶり返し、私はたちまち憂鬱気分に取りつかれた。そして、一夜明けた現在もなお、風邪症状に悩まされて、おのずから気分は憂鬱状態にある。挙句、とんだ月替わりを招いている。S医院からもらっていた風邪薬はとうに服み尽くし、今は妻が貰っていた「葛根湯」を盗み服みし、さらにそれに買い置きの市販の総合感冒薬を重ねている。ところが、罹り始めの夏風邪は名を秋風邪に代えて、未だに治りきらないままである。「風邪は大病の基」。そうであれば現在は、肺炎の惧(おそ)れを気にせずにはおれないところはある。だったら風邪などと侮(あなど)らずに、早々に外来患者となるべきときかもしれない。きのうのNHKニュースでは、落語家・三遊亭円楽さんの訃報が伝えられた。私より十も年下(享年72歳)である。きわめて惜しまれる、他界(肺がん)だった。他人様(人様)とは思えず、心からご冥福を祈るところである。わが年齢をかんがみれば、風邪症状を蔑(ないがし)ろにするところはまったくない。もちろん、承知の助ではある。しかし、通院にさえ決断力不足(優柔不断)がともなうのは、わが生来の「身から出た錆」である。秋本番、すなわち好季節の真っただ中にあっては、季節にふさわしい明るい文章を書きたい、書くべきである。しかしながら書けず、とんだ月替わりに成り下がっている。「可もなし、不可もなし」、いや不可だらけの月替わりである。平に詫びて、御免蒙(こうむ)りたい思い満杯である。強風に朝日が加わり始めている。

九月最終日

九月最終日(金曜日)、いつものように(万古不易)、夜明けが訪れている。時々刻々、変わるのは人の世である。起きて私は、小難しい成句を浮かべている。生噛りの覚束ない成句ゆえに、電子辞書を開いて復習を試みる。自分勝手なお浚いゆえに、平に詫びるところである。説明文は、電子辞書の転記である。【兄弟(けいてい)牆(かき)に鬩(せめ)げども外その務(あなど)りを禦(ふせ)ぐ】「兄弟(きょうだい)は家の中では喧嘩をしても、外から侮(あなど)られるようなことがあれば、力を合わせてそれを防ぐということ」。例文「―、兄弟とは本当にいいものだね」。秋は物思いの季節である。異母兄弟を含めて多くの兄弟姉妹(戸籍の上では14人)にあって、次兄(九十二歳)を残すのみとなった。だれもが喧嘩一つしない兄弟愛を育んだために、必ずしもこの成句は、ピタリ適当と言えないところはある。しかし、幸運にもこの成句を浮かべずにはおれない、わが身のありがたさである。ネタ切れが招いた、とんだ報酬、すなわちわが身に沁みる成句である。「物思いの秋」は月を替えて、いよいよ特有の愁(うれ)いを帯びて深まりゆく。鼻風邪は、月替えに持ち込まずに済んだ。爽秋は、秋愁(しゅうしゅう)の季節である。視界、秋の朝日が輝いている。この先、私はどんな物思いに耽るであろうか。

季節の香り

 早朝に近くのポストまで郵便を出しに行く途中、どこからともなくキンモクセイの花の香りが鼻先に漂ってきました。あたりを見渡したけれど、樹木は見当たりませんでした。肌に触れるひんやりとした大気の感触で、「ああー、この季節感、やっと味わうことができた」と思わず両手を空に向かって大きく広げて、思いっきり空気を吸い込みました。
 すると、爆音が響き渡り、不安が過ぎります。道行く人が立ち止まって空を見上げ、扉を開けて家の外に出て様子を窺う人もいます。爆音はだんだん近づいて、上空をヘリコプターが三機悠々と飛び去っていきます。
 皆、今日の騒がしい状況に敏感になっています。何事もなく季節の変化を楽しむ穏やかな日常になりますようにと祈らずにはおれません。

カンフル剤は「ふるさと便」

九月二十九日(木曜日)、夜明けは今にも雨が落ちてきそうな、どんよりとした曇り空です。生きて目覚め、起き出して、パソコンを起ち上げています。しかしながら、心象は乱れて、文章が書けません。モチベーション低下のせいです。このところ、生きる気力が萎えています。ふるさと在住の姪っ子から、秋恒例の「柿、ふるさと便」が届きました。ふるさと便は常に、最良かつ最高の生きるためのカンフル剤です。早速、柿を剥き、四つ切にして、「旨い、旨い!」と言って、頬張りながら食べました。ふるさと慕情がムクムクと溢れました。傍らの妻も、「パパ、美味しいね!」と言って、笑顔で同調してくれました。この言葉で、わがふるさと慕情は、さらに風船みたいに膨らみました。それなのに、こんな惨めったらしい文章を書いてしまい、ほとほとなさけないです。焦らず、モチベーションの回復に努めるしか、便法はありません。わが心中は、すでに土砂降りの状態です。空中および心中の晴れ間を望んで、戸惑っている指先を閉じます。気狂いの自覚症状はありません。だからなお、厄介と言えるかもしれません。せっかくの好季節にあっても、清々しい気分は遠のいています。書くまでもないことを書いてしまった、わがお里の知れる約十分間になりました。すみません。

続「通院日」

九月二十八日(水曜日)、半眠りの朦朧頭で起き出してきたため、なさけなくも文章の体をなすものが書けません。そのため、きのうの『通院日』」の続きを殴り書きして、文章を結びます。診察時間は、予期したとおり三分足らずで済みました。それゆえ、私は拍子抜け気分をつのらせて、診察室を後にしました。もちろん長い時間、診察室に留め置かれるよりは、ありがたいことです。診察はいつもの男性・院長先生とは異なり、いまだ中年にも満たないと感じた初見の女医先生でした。私が両耳に集音機を嵌めていたのを咄嗟に察知されたのであろうか。先生は、大きく明るく弾んだお声で相対されました。私は優しさを感じて、気分は患者らしくなく、すぐに解れました。マスク越しのため向き合っても、先生のお顔の全容を見ることはできません。しかしながら私は、女医先生は「美貌」と、決め込みました。診察は主に、事前の視野検査の画像を眺めながらでした。「変化はありません。大丈夫です。薬はまだありますか?……」「5本ほど、お願いします」。「次も、半年先に、診てみましょう」「わかりました。ありがとうございました」。診察室を出ると、ドア近くの椅子に並ばれていた次の人の顔には、驚いた様子があらわれました。お顔には、わが診察時間の短さにたいする、驚きとうれしさが交錯していました。私は予約時間の午前11時前に出向いて、午後2時過ぎに当院を後にしました。いつものことながらこの日もまた私は、目病み患者の多さにびっくり仰天していました。きのう・この日(九月二十七日)の日本社会は、故元安倍総理の国葬の日でした。待合室で見たかぎり下々の国民は、病をこらえ、治しては、生きることに懸命です。きのうに続く、きょうの夜明けの日本晴れは、秋の復調の確かな証しと、言えそうです。長く待ち望んでいたことだけれど、半面寒さがに身に沁み始めています。実のない駄文、やはり、休むべきだった。もちろん、「朦朧頭だから、仕方がない!」と、言い訳の効かない文章です。

通院日

九月二十七日(火曜日)、どうやら不順続きの天候は正規軌道へ戻り、地上に穏やかな夜明けを恵んでいる。すると、残るはわが不良体調の良化である。ところが、こちらは未だしである。実際には、夏風邪の尾を引く鼻風邪は、未だに治りきらないままである。気分もすぐれず、またとりたてて書くネタもなく、それゆえにきょうは、端から休筆を決め込んで、起きてきた。しかしながら、それはそれで、気分はしっくりしない。仕方なく、パソコンを起ち上げた。浮かんだネタは、このことだけである。きょうの私は、半年ごとに訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日である。実際の施療は、緑内障の半年ごとの経過診察である。私に問いは、「先生、死ぬまで続くのですか?」「そうですね」。わが言葉に変えれば、「死がゴール」のエンドレス通院と、言われたことになる。あえて、聞かなきゃよかったのだ。聞いたゆえに、つらい宣告を被ってしまったのだ。私には、何らの悪い自覚症状はないのに。治療には、一日に一度だけの点眼薬の一滴こぼしが、もう何年も続いている。診察室に入っても、三分の診察時間さえ与えられず、いつも二分程度でおさらばである。それはそれで長引く診察よりいいわけだけれど、私は半日がかりの通院日にあっては物足りなさを感じている。確かに、「念のため、日を替えて精密検査をしてみましょう」と、言われるよりは大ましではある。だけど私は、「こんにちは」「ありがとうございました」の間隔のあまりの短さにいつも、狐につままれた面持ちで診察室を後にしている。おそらく、きょうの診察もそうなること、請け合いである。もちろん私は、異状宣告を望んでいるわけではない。しかし、半日、半年、がかりの診察であれば、私にはもっと長い時間診て欲しいという、願いや思いはある。書くつもりのない文章だっただけに、これでおしまい。日本晴れに朝日が映えて、清々しい夜明けである。それなに、こんなことを書いて、とことん、バカな私である。

文明の利器の祟り

九月二十六日(月曜日)、起き出してきて夜明けの空をしばし眺めている。朝日こそ見えないけれど、風雨のない穏やかな夜明けにある。どうやらこの先は、秋本来の好季節にありつけそうである。ところが、わが気分は穏やかではなく、なさけなさが充満している。いまだに治りきらない夏風邪のせいもあるけれど、それよりはるかに痛手のなさけなさに見舞われている。それすなわち、わが脳髄の衰えと、それによる様々な不都合が加速しているせいである。おや! 認知症の兆しかな? とも思える、へまも多くなり始めている。具体的に大きなショックを受けているのは、脳髄の衰えにともなう記憶力喪失である。そんなかにあって最近驚愕した体験では、本来、容易な漢字であっても、手書きではまったく書けなくなっていたことである。なさけなくもこれには、大きなショックを受けている。明らかに、文明の利器すなわちデジタル文字(漢字)に頼りすぎてきた大きな祟りである。パソコンで長いあいだデジタル文字(漢字)を叩き続けたことにたいし、逆らいでもするかのように、手書きの漢字が書けなくなっていたのである。確かに、この傾向には以前から気づいてはいた。しかしながら最近、手書きしたいくつかの容易な漢字で、その加速度が増しているを知らされたのである。ショック、つらい確認だった。これに懲りてこのところの私は、夏風邪特有の鼻先グズグズの不快感丸出しのなかにあっても、手書き漢字のおさらい(書き取り)に大わらわになっている。具体的には、小学用と中学用を主とする、常用漢字(1950余)の手書き漢字の復習である。それゆえに私は、余生短いなかにあって突然飛び込んで来た、お邪魔虫(再度の手習い)さながらの思いに打ちひしがれている。小学校低学年時代に学んだ漢字にさえこうだから、後学の熟語、四字熟語、諺、成句などの記憶喪失には、はかり知れないものがある。ところがもはや、これらを復習する余生の時間はない。あまりのショックを受けたものだから、恥を晒してまでも私は、きょうの文章のネタに用いたのである。脳髄の衰えは加齢のせいにはできない、もとよりわが脳髄の脆(もろ)さ、貧しさではある。ようやく中秋らしい、胸の透く清々しい、朝日が輝き始めている。ところが私は、パソコンを閉じれば、小学用漢字の手書きをする羽目になる。表題は、なさけなくも「文明の利器の祟り」でいいだろう。

そぼ降る雨

ふうたろうさん、嬉しい投稿です。雨に濡れた庭にひっそりと咲いている彼岸花が素敵です。

いい写真だねー

彼岸花ゆえに、哀しみをこらえて、楚楚と咲いている。雨は涙の代わりなのだろう。ありがとう