海の日

「海の日」(7月17日・火曜日)、夏の朝ののどかな夜明けが訪れている。何物にも勝る夏の朝の、人間界に対するプレゼントである。これに出遭える喜びがなければ、私の場合は生きる価値(甲斐)はない。たぶん、ウグイスもそうであろう。朝っぱらから、高鳴き声を続けている。名を知らぬ小鳥が、電線を止まり木にして飛び交っている。これらもまた、夏の朝の快感に酔いしれているのであろう。とどまることを知らず、自然界賛歌を歌い続けたいところである。ところが、そうはいかないのが人の世の習いである。メディアが伝えるニュース項目に目を遣るとこの時期、海や川で命を亡くす人は多々である。豪雨は九州地方を皮切りに中国や山陰地方、そしてとどめには東北地方を舐め尽くし大雨被害をもたらしている。それらの惨状や惨禍は、テレビ映像で観るだけでも忍び難いものがある。結局、人生とは人の世界がもたらす苦しみを凌ぐだけで済まされるものではなく、同時に自然界がもたらす災害をもはねつけなければならない。まさしく人生には、至難の技を強いられる。だからそれに立ち向かうには、もとより強靭な精神力が求められる。このことを鑑みれば人の世は、精神薄弱の私が済むところではなさそうである。ところが生まれたかぎりは、常に愚痴をこぼしたり、泣きべそをかいたりしながらも生きなければならない。わが人生に負荷された、まったくあかぬけない宿命と言えるものかもしれない。現在の私は、9月中頃を打ち止めにして、ほぼ一週間おきに歯の予約・治療中にある。明日にも予約があり、通院しなければならない。この先、なんでこんなに多く通院しなければならないのか。摩訶不思議というより、憮然とするところがある。治療中とはいえ、歯並びは穴ぽこだらけである。加えて、既成の入れ歯は固定剤をつけても、すぐにゆるゆるするばかりである。挙句、御飯時の楽しみは損なわれ、それらに気を遣うため御飯自体、なんだか旨くない。それなのに夏痩せ願望は叶えられず、身体はプクプク太るばかりである。きのうは年に一度の鎌倉市が補助する定期検査で、最寄りのS医院へ通院した。恐るおそる体重計へ乗った。針は83キロ当たりでぴたり止まった。女性看護師は身長を計った。こちらは5センチほど縮んでいた。採血結果は、一週間のちの通院のおりに判明する。先日の「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科への外来のおりには、主治医の宣告により8月29日に大腸の内視鏡検査が予約された。そののちの予約済には11月、「大船田園眼科医院」における緑内障の経過観察がある。こんな書き殴りの文章は、尻切れトンボを厭(いと)わずもうやめよう。海の日にあっても、鎌倉の海(由比ガ浜海岸)へ、まったく行き来のしないわが気分である。目の保養の気分さえ起きないのは、たそがれどきはとっくに過ぎて、宵闇深いところへわが身体が突っ込んでいるせいであろうか。朝日が輝いて、のどかな朝ぼらけにある。また、小鳥が飛んでいる。ウグイスは、鳴き続けている。自然界の恵みで、生きる楽しみはまだちょっぴりあるのかもしれない。ただ、周辺には空き家が増えている。人の世は、自然界とは別物のようである。