掲示板

 

坂本弘司撮影

♪前田さんへメッセージです♪

本日の午後12時13分、ぼくは、さいたま市内某所へ向かうため、自転車で強行突破していました!!
到着した時は、「濡れているねー!!」と言われました(笑)。
約1時間後に帰宅して、バッグには、雪がそのまま付着していて、払い落としてもまだ付いていました。降り始めの頃だったので、濡れてもこれぐらいならいいほうだなぁ〜と思いました。
今現在は、夜の時間帯になりましたが、前田さんのタイトル通り、『降雪予報、大当たり』となり、積もっています!!

※さいたま市内某所がどこかについては、この掲示板以外でお答えしたい、と思います(笑)。

降雪予報、大当たり

2月5日、午後12時13分、横殴りに雪が降り始めました。たぶん、積もるでしょう。

雪の朝にまつわる、ふるさと慕情

「立春」明けの2月5日(月曜日)、現在のデジタル時刻は2:40と刻まれている。寝床から抜け出してくるやいなや私は、頭上の蛍光灯から垂れ下がる一本の細紐を引いた。蛍光灯特有のしばしの間をおいて、パッと明かりがついた。どうやら命は断たれずに、きょうの始動にありついている。すぐには机を前にした椅子には座らず、パソコンも起ち上げないままに窓際に佇んだ。厚地の布でできた茶色のカーテン、目の粗い薄地の白いカーテン、私は二枚重ねのカーテンを撥ね退けて窓ガラスを開いた。一基の外灯が灯る舗面には、今のところ雨も雪も落ちていない。風の音もなく、目に留まる木の葉に、揺れはまったくない。外気は、夜の静寂(しじま)状態にあった。わが身体に、寒気はさほど感じない。きのうの気象予報士は、きょうとあすにかけて、雨と雪の抱き合わせの予報に大わらだった。予報には雨だけで済むところがあり、雪だけが降るところもあった。文字どおりの抱き合わせで、雨のち雪のところもあった。大まかに言って、きょうの関東甲信地方は降雪予報である。ところが気象予報士は、東京都心(23区)にあっては数値をもって、2,3センチの積雪が見込まれると予報した。わが住む鎌倉地方の場合は、どれくらいの積雪になるのだろうか。この冬、三度目の降雪予報である。ところが幸いなるかな! 二度の降雪予報は外れた。「二度あることは三度ある」ゆえに、三度目の降雪予報もあてにはならない。宝くじなどとは異なり、外れて人が喜ぶものの筆頭は降雪予報である。とりわけ、おとなたちの多くは降雪予報にかぎり、外れて悲しむ者はいない。降雪予報が外れてがっかりするのは、漸減傾向を深めつつある子どもたちの一部であろう。一部と限定表現を用いたのは、雪だるま、雪滑り、雪合戦などの楽しみを目論む、子どもたちがいるからである。子どもの頃の私には、確かにこれらの楽しみに加えてさらに、雪降りの朝にはこんな楽しみが待ち受けていた。それはすなわち、裏戸を開けて木の葉に積もった新雪を大きなドンブリに掬い取り、それに砂糖をかけてにわか作りの「かき氷」を鱈腹食べることだった。寒空の下、一度や二度では飽き足らず私は、何遍も雪掬いに出向いた。まさしく餓鬼食い、無償で好きなものにありつくと、寒気さえ厭うことはなかった。白無地一辺倒で出来立てほやほやの新雪づくりのかき氷は、炬燵に足を入れて全身丸まって食べた。このときの私は、分厚い練りの丹前を身にまとい、まるで寒気を嫌う猫のように膨れていた。雪の朝に出遭っていた、今や童心返りの懐かしい思い出の一コマである。日本列島にあっては南の地方にあたる熊本県にあって、山あいの片田舎に位置するわがふるさと(当時の鹿本郡内田村、現在は山鹿市菊鹿町)には、一冬に三度くらいは視界白一色の雪降り光景が訪れていた。当時、冬の間のふるさとの寒気の強さは、現在の鎌倉地方とはまったく比べものにはならない。その証しには釜屋(土間の台所)に置かれていたバケツには、しょっちゅうバケツが壊れるほどに氷が張りついていた。わが家の裏を流れている「内田川」から分水を引き込んで、水車を回して生業を立てていたが家の場合は、村中ではほとんど見られない光景を常に目にしていた。それは水路に設けられていた「さぶた」(手作りの水量の調節機)付近に垂れ下がる、大小長短の「氷柱(つらら)」の光景であった。氷柱とは文字どおり「氷の柱」である。寒気に身震いすることでは私は、雪降り光景より、氷柱が立ちあるいは垂れ下がる光景のほうにはるかに強く感じていた。確かに、霜柱が立つ朝にも強い寒気を感じていた。それでも寒気は、雪降りの朝、霜柱立つ朝共に、氷柱が立ち垂れ下がる朝にはとうてい敵わなかった。ところが餓鬼の私は、氷柱を折っては手にとり、震えながら舐めたり、ガリガリ噛んだりした。こちらは「アイスキャンデー」代わりだったけれど、砂糖まぶしにはできず、「新雪づくりのかき氷」のような楽しみにはありつけなかった。それでも、懐かしい思い出づくりの一役にはなっている。三度目の降雪予報にあっての、今や懐かしく当時を偲ぶだけの「雪の朝にまつわる、ふるさと慕情」である。未だ外気は真っ暗闇で、降雪予報の当たり外れを知ることはできず、身体は寒気に冷え始めている。

立春、万歳! 文章は「節分の夜」

日を替えて「立春」(2月4日・日曜日)が訪れ、現在のデジタル時刻は1:23と刻んでいる。私は寝床から起き出して、文章を書き始めている。気分を殺がれていたので、書くつもりなかった。だから、寝床の中で布団を被り、ミノムシのごとく丸まっていた。ときには、干しエビのごとく身を曲げていた。文章はだれのためではなく、自分のために書くのだ! と、半ば嘯(うそぶ)いて、これからも書き続けることを自分自身と約束した。「パパ。きょうは節分(2月3日・土曜日)だったのね!」「そうだよ。豆、撒かないの? 鬼退治に豆を撒いてよ…」妻は傷めている体のあちこちへ気を遣いながら、茶の間のソファからヨロヨロと立ち上がり、台所へ向かった。妻は買い置きの「福豆」の大袋を持ち出してきた。そして、奇怪な行動を始めた。妻は閉めていた窓ガラスと雨戸を静かに、隣近所に憚(はばか)るようにちょっぴり開けた。「何するの?…」。私は、妻の行動を訝(いぶか)った。妻は片手の手の平に、福豆のいくつかを握りしめていた。次には、その手の腕を暗闇に伸ばした。妻は福豆を暗闇に投げつける手振り繰り返した。格好だけで妻は、福豆は投げなかった。私は妻の行動を合点した。妻の手の平が暗闇を突くのに合わせて私は、大声で「鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、…」を繰り返した。妻の行動が切なくなり、「不断、おまえにとっておれは鬼だろ? だったら、俺に豆を投げつけろよ。俺は、投げつけられることを覚悟しているよ」「パパって、バカねー」妻は福豆が入った小袋(分包)の一つを私に手渡した。妻は自分の分包から福豆を取り出し、口に含んだ。私は福豆の何粒かを一度に口に入れて、ムシャムシャ噛んだ。入れ歯がガタガタの妻の歯は、福豆を噛めない。私は新規(1月15日作製)の入れ歯を入れていた。それゆえにわが歯は、容易に福豆を噛めた。妻の咄嗟の機転で、夜更けの豆まきはほどなく終わった。立春からこの先、福豆がわが家へ福をもたらすどうかわからない。おまじないゆえに、福は望めなくてもいい。けれど、まかり間違っても災厄だけは免れたいものである。妻は恵方巻のことは言わずじまいだった。昼間のNHKテレビニュースでは恵方巻の由来や、地域のことしの縁起のいい方角のことなどを、街頭インタビュー光景の中で盛んに報じていた。節分とはいえ、きのうの鎌倉地方の寒気は、耐えようないほどにいたく肌身に沁みた。ところが立春になったばかりの現在は、寒気はまったく和らいでいる。私は、いまだ決めかねている表題を心中にめぐらしている。

♪古閑さんへメッセージです♪

古閑さん、御返事の御投稿どうもありがとうございます*(^o^)/*
日本スイセンだったのですね!!
いつも花の名前を教えてくださり、ありがとうございます♪

大沢さんへ

 庭の花の感想、ありがとうございます。花はひっそりと咲いていますが冬枯れの庭にわずかに明るさがある程度です。クリスマスローズ残念だったですね。

高橋さんへ

 いつも庭の花の感想、ありがとうございます。スイセンは日本スイセンです。

古閑さんちのお庭

 小さくたたずんでいる慎ましやかな花々もいいですね。冬枯れの庭に心が癒やされます。真ん中の花はクリスマスローズですね。私の庭では、昨年あまりに葉が茂っていて、いさぎよく切ってしまったら、怒りに触れたのか、今年は花が見られません。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

古閑さん邸の庭には、すでに春が到来していますね(^^)
スイセン、黄色いスイセンは、ラッパスイセンでしょうか?
ムラサキ色の花は、この掲示板の冒頭を飾っている花と同じスミレでしょうか?
これからの花々も楽しみですね♪♪♪

節分と福豆

2月3日(土曜日)、未だ真夜中とって言い頃にある(2:36)。パソコンを起ち上げる前に、外していた眼鏡を耳に掛けると、枠が冷たくてゾッと身振りをした。それでも季節は、しだいに寒気が遠のく春の「節分」を迎えている。人生の晩年を生きる私は、必ずしも節分待望者ではない。しかしながら一方、寒気を極端に嫌う私は、節分を秘かに望んでいた。なぜなら節分は、確かな季節の屈折点である。寒気はまだあるもののそう思うだけでも、現在のわが気分は和んでいる。豆まき用の豆は、妻が近隣の「鎌倉湖畔商店街」に総菜屋を構えている「おふくろさん」から、すでに買って来ている。妻は「鬼は外、鬼は外、あなたは外、…」という掛け声とともに、炒り豆をわが身に投げつけるであろう。普段のわが介助ぶりに飽き足らず腹いせまじりに妻は、豆をいくつ私に投げつけるつもりであろうか。豆袋の表示には「福豆」と記されている。私がいっとき痛さを我慢すれば、妻いやわが家には、幸福が訪れるのであろうか。そうであれば、バンバンかつ強く投げつけてほしいものだ。日々衰えてゆく妻の体力は、いくつぐらいの投げつけに耐えられるだろうか。いっときの演技者になって大袈裟に逃げ回るわが足とて、ヨタヨタで心許ないものがある。わが家の豆まき光景は、年年歳歳、切なく、寂しくなってゆくばかりである。なぜなら豆まき一つに、互いの衰えぶりが浮き彫りになる。もとより豆まきは、歳時(歳時記)にのっとったおまじないである。その証しに震災被災地にあって去年の豆まきは、何らのご利益ももたらしていない。去年の節分にあっては、震災被災地のどこかしこの御宅でも、家族そろっての豆まき光景があったはずである。ところが、豆まきはおまじないにすぎずご利益なく、自然界は震災というひどい仕打ちをした。だとしたら震災被災地および被災者の難渋をおもんぱかって今年の豆まきはおのずから、わが家にかぎらず神社仏閣のすべて、自制すべきなのかもしれない。なぜなら、日本列島の各地からもれ伝わる「豆まき便り」は、震災被災地および被災者にとっては、あまりにも惨たらしい悲しい便りであろう。すなわち、震災被災地および被災者にとって今年の節分は、去年とは様変わり身も心も凍えるものとなっている。恵方巻(巻き寿司)で縁起のいい方角を覗いたところで、もとより食欲を満たすだけのおまじないにすぎない。きょうの私は、すでに買い置きの福豆は仕方ないけれど、商魂の渦に引き込まれて、巻き寿司を買うつもりは毛頭ない。わが自制、いやご利益のない銭失いを避けるためである。このところの私は、気張って文章を書いている。このことはきのうの文章にも書いたけれど、すなわち、わがしでかした二か月余の文章の頓挫の償いと、わが怠け心にたいする自己発奮を促すためでもある。ところが、駄文はおのずからいたずらに長くなり、挙句、掲示板上のカウント数は漸減傾向にある。それゆえにきょうは、心して短い文を書こうと決め込んでいた。ところがまた、だらだらと長い文章を書く、体たらくぶりである。そうであれば尻切れトンボを恥じず、ここで結文とするものである。妻がいくつか投げつける福豆を指先で一つ一つ拾って、わが口に運ぶであろう。こんなケチ臭い行為ではおのずから、私にそしてわが家に幸福が訪れるはずはない。いまだ時刻は、真夜中同然である。私は、だらだら文に付ける表題を浮かべている。