「お盆休み、夏休み」、取りたい

8月14日(月曜日)。いつものように朝が来て、いつものように目覚めて、いつものように起きて、そしていつものようにパソコンを起ち上げている。人生の晩年を生きる者にとっては、きわめて「平和」と言っていいのかもしれない。きょうは8月盆のさ中にある。幸いにもまだ御霊にはなり得ない私は、きわめてダブルの幸運爺(児)なのかもしれない。しかしながら、心中はしどろもどろにうろたえている。なぜなら、パソコンを起ち上げても、書くネタもなく、書きたい気力もない。挙句、こんな逃げ状態に陥っている。「そうだ、夏休みを取ろう」。だけど、夏休みとは口実にすぎず、実際のところは休み明けの再始動が危ぶまれる。学童の夏休みであれば、明ければ元気よく、二学期が始動する。ところがわが夏休み明けは、わが意志のままにまた休むのも自由である。すると、自由というのは曲者であり、この自由に自分単独で打ち克つことは容易ではない。生来、私は三日坊主と意志薄弱の性癖(悪癖)まみれである。ゆえに束縛のない自由は、もとより天敵である。だから私の場合は、なんらかの負荷と束縛は必要悪と言えそうである。夜来の雨は上がり、薄っすらと朝日が光り始めている。太陽におんぶに抱っこされながら、わが期限ある命は翳りゆく。台風7号などに脅されてはいけない。生きているかぎり、日々脅され慄くことは多々ある。幸いなことに取る意志さえあればわが身は、夏休み、冬休み、さらには期限のない長期休暇にありつける。休みの期限をなすのは、命の途絶えである。こんな文章を書いても、気狂いの自覚症状はない。診断は他人様お任せである。今月(8月29日)には、内視鏡検査(大腸)が予定されている。