大沢先生、感想の御投稿どうもありがとうございます。 典型的なおばあちゃん子でしたので、幼年期は、祖母との記憶ばかりで、母の存在が霞んでいます(笑)。 先生宅の沈丁花、素晴らしく思います♪♪ すかさず古閑さんの投稿。さすがですね。そして、この言葉をそのまま高橋さんへも振ります。高橋さんは本当に植物が好きなんですね。その心がよくわかります。 2月22日(水曜日)。休みます。明るく、生きてます。 只今、夜勤の休憩中です。 なかなかやりますね。 《根巻き白色沈丁花購入、鉢植えへ!!》 2月21日(火曜日)。寒さは緩んでいる。夜明けは早くなっている。これらのことでは、私には二律背反するところがある。確かに、寒さが緩むことでは、文章を書くには好季節である。ところが一方、夜明けが早くなれば、文章を書く時間に切迫感を被る。挙句、心が急いて、走り書きを強いられる。物事を為すには一挙両得など、そうあり得ない。その証しには、「二兎を追えば一兎も得ず」という、成句もある。ところがきのうの私は、棚ぼたのごとく二つの幸運にありついたのである。幸運をもたらしたのは、思いがけない「ふるさと便」の宅配であった。ふるさと便は、コラボレーション(協和)を為していた。すなわち、寒い身体を温め、同時に鬱な精神を癒した。まさしく協和して、ふるさと便特有の和みを恵んでくれたのである。このたびのふるさと便の荷造り人は、身内や親類縁者ではない。不意打ちを突かれて、驚きを誘うものだった。そのぶん余計、私はありがたみとうれしさに小躍りした。送ってくれたのは熊本県の片田舎を離れて、今や熊本市の中心市街地に住む、小・中・高生時代の親しい学友である。当時の熊本県鹿本郡内田村(現在、山鹿市菊鹿町)は、学友と私にはふるさとに名を変えて、共に懐かしく心の拠りどころを為している。私は、宅配された段ボール箱をを心弾ませて開いた。掛け値なしの、ふるさと便であった。食べつけの味覚はもとより、子どもの頃より慣れ親しんでいた品々が詰まっていた。早速、私はスマホを難聴の耳に当てた。「今、贈り物が届いた。びっくりしたよ。なんで、送ったの?」「もう着いたの? 速かなあ…、きのう送ったばかりだったのに。相良(あいら)へ行ってきたから、そのとき送ったよ」。相良地区には、子授かりの霊験あらたかを謳う「相良観音」がある。「観音様」は近郊近在の人たちのみならず遠方へも名を馳せる、ふるさと唯一の名刹である。それゆえ観音様はわが子どもの頃より、大勢のお参り客を呼ぶ、村一番の観光の名所を為している。学友の生家は相良地区にある。実際には「内田川」を挟んで川向こうにあり、わが生家からは目と鼻の先に真正面で見えている。「父の命日だったから、相良へ行ってきた。そのとき、いつもの階段下の土産屋で送った。懐かしかろと、思って…」「そうな。命日で行ったの? ありがとう。俺の好きなものばかりが、いっぱい入っていた」。お父様の何回忌かの命日は侘しいけれど、ところが身勝手にも私には、生きる喜びを実感する「ふるさと便」だった。走り書きにも利がある。心急いて書いたのに、薄っすらと夜が明けたばかりである。ふるさと便は常に、わが心身を和ませる筆頭にある。 2月20日(月曜日)。すでに夜が明けて起き出して来て、かなり焦りながら、きょうは休もうと思っていた文章を書き始めている。しかし、休心状態に変わりない。なぜなら書いても、文章の体をなさない。無理やり書く文章の多くは、人生晩年におけるわがありのままの心模様である。すると、創作文やフィクション(虚構文)でないかぎり、もとより心晴れ晴れしない文章に成り下がる。挙句、おのずからわが気分を塞ぎ、増してご好意で読んでくださる人様の気分を損なう羽目となる。人間だれしも、人生の晩年における生き様や心模様は、おおむねこんなもの、すなわち後ろ向きである。なぜなら、人生晩年はもはや袋小路、前を向いても行き止まりである。余程、自分自身に言い聞かせて、嘘っぱちでも書かないかぎりは、吾(われ)のみならずだれしも、胸(心)の透く明るい文章は書けないはずである。このことを浮かべれば私は、「馬鹿、バカ、大馬鹿」という、冠の付く「バカ正直者」なのかもせれない。もちろん、正直を誇れるところは一切ない。しかしながらわが文章はわずかでも、人間だれしもに訪れる人生晩年における心模様の写し絵ではある。起き立てにあって私は、こんなことを浮かべていた。言うなれば、負け惜しみの文章である。書かずもがなのことを書いたのは、焦燥感をともなっての、朝飯前のちょっぴりの暇つぶしである。いや、寒気を遠のけた「春、迷い」のせいかもしれない。人間だれしも、人生晩年の心模様は嘘を吐かないかぎり、暗がりである。すがるは、寒気を遠のけた穏やかな春の訪れである。ようやく、一年回りに萌え出ている庭中のフキノトウを摘むのは罪作りではある。だけど、人生晩年における身勝手な心癒しと思えば、詫びて摘むより仕方ない。人間はもとより、悪徳まみれに生きている、得体のしれない動物である。 楽しみがどんどん増えていきますね。自分の生活を豊かにしていく高橋さんの前向きな生き方は、見習いたいものです。売れ残っているカイワレ大根のセットを購入する高橋さんの行動は、今の仕事で体験されていることに繋がっているのでしょうね。カイワレ大根は廃棄されないでよかったです。2代目、3代目と成長が楽しみです。♪大沢先生へメッセージです♪
心より感謝申し上げます。
母は、弟が生まれるまで埼玉県の職員として勤務していました。さすがですね。
それにしても高橋さんのおばあさまの存在は大きいですね。しっかりと高橋さんに受け継がれていますね。さぞかしおばあさまとの豊かな暮らしは楽しいものだったのでしょうね。目に見えるようです。
私の庭にも沈丁花があります。大きく育つので手入れが大変です。鉢植えなら安心ですね。だいぶ前に狭い庭で根が浅かったので倒れてしまい、再び起こして根付けるのは大変でした。今は、花の時期に切って、仏壇に供えています。花の時期が長いので、良い香りが長い間楽しめます。寒いなぁ…
♪古閑さんへメッセージです♪
ありがとうございます♪高橋さんへ
♪HIROKIのタレント日記!!
幼年期に祖母が春になると、切り花という形で観賞用兼芳香剤代わりとして、いつもトイレに置いてくれて、イイ香りがして、気分が良くなったものでした♪
それを思い出し、かいわれ大根の水栽培セットを購入時に、沈丁花を見かけていたので、買うことにしました。
本当は、鉢植えを買いたかったのですが、赤色しかなく、土いじりも好きなので、根巻きの形で購入しました。
沈丁花は、根がとんでもなくデリケートで、傷がつくと枯れてしまうので(※根に病原菌が入りやすいそうです!!)、根巻きの元土は、崩したり振り落としたりせずに、そのまま使い、鉢の1/5は鉢底石を詰め、花専用の培養土をかぶせ、それから元土のまま植えて、周りと上部を培養土で仕上げました。
鉢は当初、8号を使おうと思ったのですが、「のびのび育ってほしい!!」という気持ちが強くなってきて、10号(直径約28cm)にしました。鉢皿は8号で大丈夫でした。
まだ、つぼみの段階ですが、香りはしていません。
トイレに鉢ごと設置しました(大笑)。
ぼくは、超スリム体型ですからいいですけれど、体格の良いひとだったら、邪魔でしょうがないでしょうねー(笑)。心弾んだ「ふるさと便」
春、迷い
豊かな暮らし
ガジュマロも高橋さんの熱意で元気に蘇りましたね。「タレント日記」もいろいろな挑戦に発展していきましたね。嬉しいです。ますます掲示板も賑やかになっていくことでしょう。