坂本弘司撮影 歳月はカレンダーにそって、4月から5月に入る(1日・水曜日)。季節は晩春を過ぎて、今週末には「初夏」(5月5日・日曜日)が訪れる。それに応じて、山は緑を深めてゆく。水は温みを強めてゆく。人間界における出会いの月4月は、様々な儀式を終えて、すでに本格稼働に入っている。ゆえに5月の初っ端は、病巣や病根のない俗に言う「五月病」に憑(と)りつかれて、気鬱症状はなはだしいところがる。花粉症状は遠のくもののかわりに、それによる身体の怠(だる)さと精神の憂鬱がともなって、人一様に心身に堪えてくる。ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」ある。いっとき(十日ほど)とはいえ、心身の疲れを休める、「ゴールデンウイーク」が訪れる。きょうは平日とはいえ、その最中にある。この間の目玉は、物見遊山すなわち国内外への行楽である。しかし、「好事魔多し」。心身の癒し行為は終われば余計、疲労と物憂さをいや増すところがある。ゴールデンウイークにありつけないわが僻みではなく、現役時代における確かな狂おしい実体験である。先駆けのゴールデンウイークの前半は、天候に恵まれなかった。ところが、後半には晴れの予報が連なっている。その橋渡しとなるきょうの夜明けは、いまだどっちつかずの曇天である。雨の無い夜明けは、やがて晴れを誘い出すのかもしれない。行楽にありつけない僻み根性は捨て去り、素直に私は、行楽日和の訪れを願っている。人間界の幸運・幸福を妬むつもりはない。 4月末日(30日・火曜日)。(ああー、もう、4月が終わるのか!)。私は嘆息まじりに起き出している。小雨降る、夜明けにある。嘆息はこれだけではない。生来、わが脳髄は鈍重であり、加えて手先は不器用である。これらを含めて寝起きのわが嘆息は、極限状態にある。歳月の速めぐりに抗えないのは、しかたがない。ところが、わが能力の乏しさには私自身、腹が立つ。しかし、どんなに藻掻いても解決するものではなく、これまたしかたがない。そして後者の祟りは、文明の利器をたずさえる現下の情報化社会において、日々被っている。いつもの大袈裟な表現を試みれば、私は現代社会にあっては生きてはいけない(生存権がない)のかもしれない。なぜなら、私は文明の利器のもたらす利便(性)に日々悩まされている。わが日常生活において用いる文明の利器は、ごく限られている。具体的にはパソコン、そしてスマホだけである。情報機器にはテレビや固定電話、ファックスなどがある。しかしながらこれらには、すでに要無しになったものもあり、しだいに不要になりつつあるものもある。ゆえに現下、私が情報ツールとして用い、そして操作等で悩まされているのは、ほぼパソコンとスマホに限られている。広くはこれらにカード類など、様々な電子機器(媒体)を加えていいのかもしれない。確かに私は、買い物現場でレジの支払機の操作に悩まされている。つまり私はこれらの操作に悩み、だからこれらを「ラクラク」操ることができれば、わが日常生活、いやこの世で生きることには、どんなにか「らくちん」だろうと、思うばかりである。わが身体に張り付く鈍重な脳髄、加えて不出来の指先は、不甲斐なくただただ恨めしいばかりである。こんな身も蓋もないことを書いて4月は、一日だけの休みで過ぎてゆく。ウグイスは、こんな私に業を煮やしてか、このところエールを断っている。小雨のせいにできない、つらい夜明けである。 「昭和の日」(4月29日・月曜日 祝祭日)。自然界は、今にも朝日が輝きそうなのどかな夜明けを恵んでいる。ウグイスはじめ山鳥は、喜び勇んで鳴いている。ところが現下の人間界は、ままならない世相にある。経済界は、いっそう円安傾向を強めて、物価上昇はこの先へ続きそうである。政界では、きのう投開票が行われた三つの衆議院補選、すなわち東京15区、島根1区、長崎3区においては、いずれも立憲民主党が制し、自民党への逆風が吹いている。なおままならないのは、わが家の暮らしぶりである。夫婦の年齢(83歳と80歳)相応に、あらゆることに「生きる苦難」が続いている。きのうは予告の「鎌倉めぐり」は止めて、いっとき庭中に這いつくばった。実際には、百円ショップで買い求めたプラ製の椅子に腰を下ろした。わがいつもの草取り姿である。猫の額にも満たない人工のわが庭は、主(私)の甲斐性無しと怠慢にせいで、荒れた原っぱ(野原)同然にある。観るに見かねてしかたなく、私は「草花畑」と名付けて、恰好をつけている。あちこちに、名を知らない草花が美しく萌えている。きのうは珍しく、妻もまた草花畑へ出向いて協働した。「草花、綺麗ね。せっかく萌えているのだから、取りたくないね」「そうね。綺麗だわ。草花は取らずに、ほかを取ればいいのよ」「そうだね。草花はしばらくそのままにしておこう。取るのは、忍びないね」「咲き終われば、取ればいいのよ。わが家の花壇と思えばいいのよ」「そうだ。そうしよう。すると、きょうは取るところがないね。もう、止めよう」。「武士の情けの草取り」と言おうか、いや遣る瀬無く頓挫し、後顧に憂いを残したのである。なんだか切ない、わが家のゴールデンウイークの一日だった。朝日が輝いて、行楽日和を恵んでいる。だけど私には、ゴールデンウイークの行楽の予定はない。 大沢さん、いつも花の感想有難うございます。写真は、前回までは23%に縮小していましたが、今回24%にしてみました。 高橋さんいつも花の感想有難うございます。 これから、孵化→若齢幼虫(1齢・2齢・3齢・4齢)→終齢幼虫(5齢・緑色)→サナギ→成虫、と、この間、約1か月だと思いましたが、観察が楽しみですね♪◯♪ 4月28日(日曜日)。人様のゴールデンウイークを羨むような、妬むような、挙句、旅心を誘われそうな、晴れてのどかな夜明けが訪れている。しかしながら文章は、恥を晒して様にならない。もとより、恥晒しは厭わない。きのう途絶えた惰性を呼び戻すだけが目的の文章を書き始めている。なぜなら、こうしなければ頓挫は、もはや再起不能に陥るためである。ゆえにこれを免れるためには、どんな文章でも書けばそれなりの価値はある。だけどやはり、こんな文章はほとほと身に堪えている。きのうのテレビニュースには、ゴールデンウイークの始まりを伝える映像が頻出した。一つは、「羽田国際空港」における混雑する出国情景である。一つは、渋滞きわまりない下りの「高速道路」の光景である。これらの映像を観た私は、この文章で言葉(語句)選びに悩まされている。すなわち、これまでもそのたびに呻吟してきた語句選びである。それらは漢字特有の語句選びの難解さである。文意にそって浮かんでいたものには、こんなものがあった。場面、情景、場景、状景、光景、風景などである。文章を書く妙味の一つは、文意に即した最もふさわしい言葉や語句(適語)が浮かんだときである。もちろん、そんな感興にはめったに出合えない。ゆえに文章を書くことには、常に苦痛、苦衷、呻吟がともなっている。挙句には(もう書きたくない、もう書けない)気分に苛まれることとなる。きのう私は、その証しを被ったのである。私は、掲示板に「書けません。休みます」と、印してずる休みをした。だからきょうの文章は、その怠惰な心を断つだけが目的化しているにすぎない。それゆに私自身は、文章の不出来は構わず、ここまで書いたことで十分である。そして、あすへ繋がれば万々歳である。身勝手をお許し願うところである。朝日の輝きは増している。きょうの私には、「鎌倉めぐり」の一員に加わりたい思いがつのっている。 画像をクリックして、思わず「わぁー」と声が出てしまいました。花の精たちの宴たけなわの中に招待されているようで、いつの間にかメロディを口ずさんでいました。おなじみのモッコーバラもありますね。クリーム色のドレスがかわいらしく映えます。色とりどりの小さな花たちは、まるで宝石をちりばめたように輝いています。そんな花々に囲まれた古閑さんと奥様の笑顔が浮かんできます。清々しい朝をありがとうございます。
5月初日
4月末日
♪HIROKIのタレント日記♪
「武士の情け」の切ない草取り
ありがとうございます。
柑橘類の樹木、鋭いトゲが見えます。少しでも刺さると痛そうですね。どうぞ注意してください。ありがとうございます。
◯大沢先生へ『揚羽蝶の卵』見えました!◯
「惰性」、呼び戻しの文章
古閑さんちのお庭
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