「武士の情け」の切ない草取り

「昭和の日」(4月29日・月曜日 祝祭日)。自然界は、今にも朝日が輝きそうなのどかな夜明けを恵んでいる。ウグイスはじめ山鳥は、喜び勇んで鳴いている。ところが現下の人間界は、ままならない世相にある。経済界は、いっそう円安傾向を強めて、物価上昇はこの先へ続きそうである。政界では、きのう投開票が行われた三つの衆議院補選、すなわち東京15区、島根1区、長崎3区においては、いずれも立憲民主党が制し、自民党への逆風が吹いている。なおままならないのは、わが家の暮らしぶりである。夫婦の年齢(83歳と80歳)相応に、あらゆることに「生きる苦難」が続いている。きのうは予告の「鎌倉めぐり」は止めて、いっとき庭中に這いつくばった。実際には、百円ショップで買い求めたプラ製の椅子に腰を下ろした。わがいつもの草取り姿である。猫の額にも満たない人工のわが庭は、主(私)の甲斐性無しと怠慢にせいで、荒れた原っぱ(野原)同然にある。観るに見かねてしかたなく、私は「草花畑」と名付けて、恰好をつけている。あちこちに、名を知らない草花が美しく萌えている。きのうは珍しく、妻もまた草花畑へ出向いて協働した。「草花、綺麗ね。せっかく萌えているのだから、取りたくないね」「そうね。綺麗だわ。草花は取らずに、ほかを取ればいいのよ」「そうだね。草花はしばらくそのままにしておこう。取るのは、忍びないね」「咲き終われば、取ればいいのよ。わが家の花壇と思えばいいのよ」「そうだ。そうしよう。すると、きょうは取るところがないね。もう、止めよう」。「武士の情けの草取り」と言おうか、いや遣る瀬無く頓挫し、後顧に憂いを残したのである。なんだか切ない、わが家のゴールデンウイークの一日だった。朝日が輝いて、行楽日和を恵んでいる。だけど私には、ゴールデンウイークの行楽の予定はない。