掲示板

 

坂本弘司撮影

☆前田静良氏☆は☆文才有り有り有りの方☆です!!

ぼくには、毎日の前田さんの☆『ひぐらしの記』☆は、書き殴りの長い文章には、見えませんよーー!!
☆前田さんの個性溢れる文章☆は、たいへん素晴しいのですが、前田さん御自身は短所と思われていて、☆長所である☆事に気が付いていらっしゃいません!!
「隣の芝生は青い」ということわざがありますが、もし、前田さんが他人様の文章と御自身の文章を比較して、御自分を痛烈に批判されているのでしたら、それはお止めになるべきだと思います。
☆前田さんの文章のスタイル☆=☆前田文学☆は、すでに確立されていますので、他人様を気にする事なく、今一度、前田さんが長年積み上げてきた執筆経験や文章技術を見つめ直して納得され、御自身の文章スタイルを中心に置いて、自己肯定感を高め、さらなる☆『ひぐらしの記』☆御発展に繋げていただきたい、と思っております☆☆☆☆☆☆☆
きょうも前田さんへ☆大大大エール☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

心よりお詫びいたします

書き殴りの長い文章は懲り懲り、もう書きません。

お二人様の善意

10月22日(火曜日)。雨なく風もなくのどかに晴れた夜明けが訪れている。きのうはわが意に背いて、書き殴りでエンドレスになりそうな長い文章を書いた。そのせいで自分自身は疲れ、さらにはご常連の人たちの読み飽きと疲れを慮り、心中で詫びている。そのためきょうは、心して短い文章を心掛けている。いつもとは違って幸いにもきょうは、書かなければならないネタが二つもある。それはずばり、お二人様から思いがけなくさずかった驚嘆すべき「善意」である。きのうは久しぶりに妻を連れ合って外出行動をした。先ずは、当住宅地内にある不断掛かりつけのS医院へ通院である。二人一緒に診察室に入り、妻を先に順番に診察を受けた。普段の診察と併せて、共にそれぞれが現在服用中の一か月ごとの薬剤の処方箋をもらった。その場の飛び入りの処置には、インフルエンザの予防注射を所望し、快く打っていただいた。新型コロナウイルス感染予防のためのワクチン注射の諾否の相談もあったけれど、こちらはその実行の可否を次回以降に先延ばしにした。診察以外では先生が横浜ベイスターズファンであることを知っていたため、私からそれにかかわる話題を持ち出した。時あたかもクライマックスシリーズにおけるベイスターズの活躍ぶりに合わせて、会話は愉快に沸騰した。医院を後にすると、最寄りの「北鎌倉台バス停」で、巡って来た「大船行きバス」に乗車した。大船(鎌倉市)は、私たちの不断の買い物の街である。ところが、わが家の買い物はもう長く、私の専一行動となっている。決まって大船へ妻を連れ合うのは主に、妻の「髪カット」のおりの引率同行くらいである。しかし、この日の妻は、わが買い物への手助け同行を進言した。もとより私は,病弱の妻へ買い物袋を持たせるつもりはないし、それは妻も承知の助でもある。だけどやはり、妻をともなう買い物は、品物選びに大助かりのところがある。なぜなら、妻の好み、妻が手にした物を籠に入れさえすればいいという気楽さがある。いつものわれひとりの買い物で帰宅のおりには、ときたま妻の不満に出遭うこともある。だけどきょうは、それがないからである。買い物回りの最初の店は、わがいつもの巡回コースどおりに野菜と果物の安売り店「大船市場」だった。妻が手にとった数々の品物を私は、無造作に籠に入れていった。しばし並んで勝手知ったレジへ向かった。レジには横並びあるいは並びきれずに飛び飛びに、いつも10人ほどの人たち、中年あるいは高年の女性たちが立ち並んでいる。彼女たちは時間制のパート働きのようであり、店の経営者はその倍数の人たちを雇っているようである。男性はレジには立たず、裏方作業にのみ徹している。男性のほうは、おおむね高年を超えてなお高齢者ばかりである。私は買い物を愉しむためにレジ係の女性と無言でお金を払うこと避けている。店は混雑きわまりないので長い立話は慎み、挨拶と御礼の言葉かけにすぎない。そしてこれまで、5人ほどの人と顔見知りになっている。「次の人、どうぞ」の掛け声に釣られて、私と妻はレジへ向かった。幸いにも普段馴染みの人の声だった。いつものように愛想よく籠から手にとり、レジ打ち始められた。ナスを手にとり、一瞬「これ、もっと良いものを探してきますね」と言われて、遠いナスの売り場へ小走りされた。しばらくして、ナスを持ってレジに戻られた。「こちらがいいですから、これに替えますね」。もちろん、同じ値段のナスである。どこかに傷みかけがあったのかもしれない。私たちは二人して、素早い行動とその優しさに感銘し、何度も感謝とお礼を述べた。バカな私は、こんなことまで言った。「私は、不断からあなたのファンになっていて、良かったです」。相対した人は、笑顔で応じてくださった。並んでいる買い物客は、「次の人、どうぞ」と、呼ばれると急いでその人のところへ向かった。籠を台に置いて、無言でお金を支払っていた。きのうはここの店で買い物がいっぱいになり、いやここだけで私は、ほかの店の買い物を持つには耐えなくなっていた。なぜなら私は、背中には大きな買い物用のリュック、両手には普段の二つの持参の買い物袋、さらにレジで買った一つのレジ袋を加えて、三つの買い物袋を手提げした。ヨロヨロの足取りで、次の「鈴木水産」そして「総菜屋」へ立ち寄った。ここでの買い物は自分では持てず、重さ加減を手にとり、妻が持ってくれた。「きょうはタクシーで帰ろう。重くて、バスは無理だよ」「そうね。パパも腰が痛いんでしょ…」二人は50メートルほど歩いて、待機中のタクシーへ、二人の体とリュック、四つに増えていた買い物袋をソファにようやっと沈めた。タクシーがわが家の門口へ停まると、ここでまた予期しないことが起きたのである。それは、運転士の善意だった。運転士はすぐさま運転席から離れて、後部座席の一方のドアを開いて、私たちの降車を手伝ってくださったのである。私たちは何度も腰を折り、お礼の言葉を繰り返した。メーターは2300円を示しており、私は車内で「札と硬貨」で、ちょうどの金額を支払った。少し金額を上乗せすべきだったかな? と、私はあとで後悔した。きのうは思いがけなくお二人様の善意に遭遇し、私たちには夢を見ているような心地良い一日だった。書き殴りを続けていたら、最長の文章になってしまった。こんな文章は見ただけで、読んでくださる人はいないだろう。ところが、私にはきのうのような書き疲れはない。掲示板を汚すため、投稿ボタンを押すかどうかを迷っている。短く書くつもりに背いて、詫びる心は横溢である。ところがわが心は晴れて、大空もまた秋晴れに向かいつつある。

 ありがとうございます。

 大沢さん花の写真の感想有難うございます。我が家の庭にはキンモクセイはありませんがどこからとなくキンモクセイ良い香りがしていました。それにしても暑かった夏が嘘のように寒くなってきました。大沢さん、高橋さんどうぞお身体には十分気を付けてお過ごしください。

選挙戦さ中の心境

10月21日(月曜日)。夜長の夜明けは未だ(5:26)、季節に違わぬ寒気が訪れている。きのうから一枚重ねた着衣の恩恵は無く、寝起きの私はブルブル震えている。もとより、季節どおりの寒気には抗えない。文章を書き終えたら、更なる防寒体制を整えるつもりである。洗面にあっては、気をひきしめて蛇口をひねった。ところが、思いがけなく温(ぬる)い水が出た。二、三日前の真夏並みの暖かさの名残であろう。怯(ひる)んでいた顔が緩んで、懐かしさをおぼえた。あしたからはこんな僥倖はありえないと、新たな覚悟をした。日本社会にあっては、今週末(10月27日・日曜日)には総選挙(衆議院)の投開票日がある。過ぎた10月15日には立候補者の公示日があり、この日から激しい選挙戦に入っている。そして、選挙戦の残り日はきょうを入れて6日である。ところがこれまでの私は、選挙(戦)はほぼ無縁状態で過ぎている。NHKテレビのある時間帯には、政権放送が流れている。しかしわが夫婦は、それに目を向けたり、聞き耳を立てることはなく、リモコンをオフにするか、チャンネルを変える。現在、わが家は新聞の購読は止めている。都会の僻地のせいと、それにともない住民が過疎化傾向を深めるせいで、票田にならないためなのか、未だに選挙カーがめぐって来ない。最寄りの「半増坊バス停」近くに置かれた立候補者の掲示板を私は、未だに見ないままである。公示日以降の私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ、買い物回りで二度ほど出かけている。ところがこのとき、街頭演説には出遭っていない。選挙公報や入場券はまだ届いていない。こんななか、一度だけ固定電話に誰かから、投票依頼の電話があったと言う。こんな表現をしたのには、そのとき受話器を手にしたのは妻だったからである。妻は私に受話器を手渡すことなく、ブツブツ言ながら受話器を元の電源(台)に置いた。選挙戦最中と知るのは、もっぱらテレビニュースとスマホ記事の閲覧すがりである。国政選挙におけるわが地方区は、鎌倉4区である。先日、私はスマホを手にして、4区の候補者調べをして、このとき立候補者は確認済である。現在、夫婦共に、投票所へ向かうつもりにはある。しかしながら一時は、その気さえ失せていた。国政選挙にあっても特に今回は、きわめて大切な選挙ゆえに、投票の棄権だけは避けるべきとは十分心得ている。生存84年にあって選挙権を得て以来、そののち妻と結婚して以降もまた、共に国政選挙において、たった一度さえの棄権の記憶はない。ところがこんどは、棄権しそうになっていた。私にかぎれば異常とも思える心境の様変わりだった。どうしてだろうか?…。思いつくのは余命を鑑みての、(もうどうでもいいや)、という投げやり的な諦めなのか。あるいは、醜聞まみれの政治(家)への信頼の欠如のせいなのか。挙句、今なおわが清き一票は、棄権あるいは候補者定めに揺れている。わが意中を察して妻は、「パパ。投票ぐらいには行きましょうよ」と、言う。それに応えて私は、こんなことを言った。「そうだね。二人ともたまには歩かないと、もう歩けなくなるね。おれは買い物のおりには、買いめぐりで5000歩ほどは歩くけど、おまえは歩くことはほとんどないね。歩かないと、もう歩けなくなるよ。よし行こう!」。投票行動を実践すれば、確かに夫婦の足慣らしになりそうである。わが家と町内会館(投票所)までの道のりは片道、病んだ妻の体では一時間近くかかりそうである。往復歩くことになるから妻だけでなく、引率同行の緩い足になるとはいえ私にも結構、足の鍛錬にはなる。今回は有権者という名が廃る、ヨレヨレの投票行動になりそうである。いや、投票日に雨でも降れば、棄権に落ち着きそうでもある。朝御飯の支度に急(せ)いて妻は、何度も危ない足取りで、私を呼びに階段を上ってきた。幸いきょうは、朝日輝く日本晴れにある。きょうもまた、実のない文章をだらだらと長く書いてしまって、かたじけなく思う、朝の訪れでもある。

古閑さんちのお庭

十月二十一日の今日は冬の寒さを思わせる気候です。とうとう冬がやってくるのですね。我が家の庭のキンモクセイの香りが冷たい空気と共に漂ってきます。あの猛暑は嘘のように、過ぎ去っていきましたが、時々まだ夏日のような気温が舞い戻ってきます。油断大敵というか、まだ暖かさが残っていて、体調を崩さないように用心しなければと身が引き締まります。
 古閑さんちのお庭は、まだ盛りを思わせるように花が咲き乱れているようですね。色鮮やかな花たちは、声は聞こえませんが話しかけてくれているようです。

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

望月窯の畑は大規模ですが、先生の御自宅のベランダ畑はコンパクトで、どちらも収穫が楽しめてなによりですね♪♪

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

今回の☆古閑さん庭園☆は、☆秋の名花☆といった感じで、気分が良いです♪♪♪♪♪

 庭の花

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 我が家の狭い庭の花も以前と比べ少なくなってきましたが、それでもまだまだ咲き誇っています。