5月9日(木曜日)。風の強い曇り空の夜明けが訪れている。パソコンを起ち上げて、心中にこんなことを浮かべている。(「ひぐらしの記」は、わが終末人生におけるわが家の破綻、加えてわが夫婦の命の絶え時に向かう文章へ成り下がっている。恥ずかしいとは思わないが、なさけない文章である)。世の中にあっては命果てるまで、日記を書き続ける人は数多いる。わがかぎりなく敬愛をおぼえる人たちである。ところが一方、年老いてまで、ブログに日常をさらけだす私日記を書く者は、ほぼ私だけであろう。このことでは、能天気な愚か者である。ゆえに私は、常に「ひぐらしの記」の潮時に苛まれている。きのうの文章『偕老同穴とも白髪』は、まさしくその証し最たるものだった。もちろん、文章を書き終えたわが気分は萎えていた。ところが早速、大沢さまは掲示板上に激励文を記してくださったのである。文中の一部を再記すればこうである。前田さんのひぐらしの記を読んで勇気づけられ励まされることもあると思います。それこそ「何でも良いですから、書いてください」。いや、この励まし文で、文字どおり励ましを得たのは私のほうである。その証しに私は、書くつもりのなかった文章を書いている。とりわけ、「何でも良いですから、書いてください」の励ましは、こんにちまでの「ひぐらしの記」継続の根幹を成してきたのである。しかしながら、何でもいい文章であってもこのところは、(もう、書いてはいけない)思いが横溢である。その理由はこれまた、きのう書いたわが文章を再記すれば、「人様の気分を阻喪している」と、思うゆえである。その確かな証しには、きのうはふうちゃん(ふうたろうさん)から、お見舞いのメールが送信されてきた。その前日にはマーちゃんから、心臓と脳の異変にまつわる励ましの電話が届いた。わがたそがれ人生は、とうに深い闇に中にある。それを綴るだけの「ひぐらしの記」は、やはり潮時なのであろう。しかし、再び大沢さまの激励文を再記すれば、「胸の内の悩みや苦しみは、遠慮せずに掲示板で吐き出してください」ともある。これまた、わが嘆き心を晴らす拠りどころである。曇り空は、風を強めて雨の夜明けになり変わっている。