生存

5月7日(火曜日)。生きて、「振替休日」明けの夜明けを向かえている。きのうは心臓と脳の異常発作に怯えて、静かな暮らしで一日を生き延びた。懸念していた状態は、現在までは免れている。ゆえにいつもと変わらず、起きてパソコンを起ち上げている。しかしやはり、懸念は心中に渦巻いている。それは、「発作」という現象を恐れているからである。電子辞書を開いた。発作:病気の症状が急激に発し、比較的短い時間に去ること。この説明書きを読んで、咄嗟にこんなことが心中に浮かんだ。すなわちそれは、「発作と地震」だった。共通する根源は、共に突然見舞われる恐怖である。もちろん、命の絶えに直結する発作のほうが地震より、はるかに恐怖を強く感じるところがある。共通項をさらに一つ加えれば、どちらも予知なく見舞われることであろう。ここまで、書くまでもないことを書いた。さて、夜明けは、今にも雨が降りそうな曇り空である。このことでは、こんなことを浮かべている。(天は小粋なはからいをするものだ)。なぜなら、ゴールデンウイーク明けを待っていたかのように、雨が降りそうだからである。逆に言えば天は、ゴールデンウイーク中は人間界に、おおむね晴れの日を恵んだ。この間、テレビ画面には地震発生のテロップも流れず済んだ。多くの人々はゴールデンウイークを楽しんで帰途に就いた。そして、きょうあたりから仕事や勤務の再始動にある。ただ、気になることでは、メディアのゴールデンウイーク賛歌に隠れて、能登半島地震をはじめとする震災惨禍は置き去りに遭い、過去ページへ移りつつある。人の浮かれすぎは半面、人の非情を見る思いがある。またもや、書くまでもないことを書いた。今にも降り出しそうな雨空をついて、ウグイスは頻りに鳴いている。人間のみならず生き物、すなわちいのちあるものにとって生存は、それぞれに大事業である。