中秋の名月(9月29日・金曜日)の夜明けにちなんで、こんなことを心中に浮かべています。今さらのことだけれどそれは、「ひぐらしの記」がわが人生にもたらしている恵みです。まさしく数々あれども、ほんのさわりだけを記します。もちろん恵みに高低差はなく、すべてが平等の恵みです。
大沢さまに出会えて厚意を賜り、わが生涯学習の実践の場を得たことです。わが長年のわが夢の一つには、一冊の単行本を書くことがありました。ところが夢叶い、なお増して、100号到達への正夢を望めるところまできています。対面は叶わずとも、たくさんの友人・知人に出会えたことです。文章にはたえず苦しみながらも一方では、常に心中に字句(言葉や文字)探しを浮かべていることです。するとこのことでは、薬剤に勝るわが認知症予防になっていることを実感しています。
確かな実益としては、「ひぐらしの記」を書くことで、わが最も恐れていた語彙の忘却をかなり防ぐことができました。「ひぐらしの記」は願ったり叶ったり、定年後の有り余る時間を埋める役割を果たしてくれました。もとより「ひぐらしの記」の発端の意志は、定年後の日暮らしの空白を埋めるこのことでした。すると「ひぐらしの記」は、それを十分すぎるほどに叶えてくれました。総じて「ひぐらしの記」は、日々呻吟しながらもわが枯葉のような人生に、瑞々しく潤いのある人生をもたらしてくれました。もちろん「ひぐらしの記」を書くことで、わが能力の乏しさ、マイナス思考や愚痴こぼし、さらには生来の小器を存分に自認しました。しかしながらこれらは、賜った恩恵すなわち幹の太さに比べれば、小さな枝葉にすぎません。
きょうの寝起きにあっては、心中にこんなことを浮かべていて、素直にそのことを書いています。秋の夜明けは今朝もまた、今にも雨が落ちそうな曇り空です。しかしながら願い叶えば、時を追って晴れ間が現れて、宵闇から夜間にかけては満天、輝く月光を仰いで、文字どおり「中秋の名月」を堪能したいものです。「ひぐらしの記」を書かなければ、こんな自然界の恩恵さえ忘却し、いたずらにそして無駄に、命を縮めているはずです。
日頃、「ひぐらしの記」には呻吟しているにもかかわらず、表題は「ひぐらしの記、礼賛」と、するつもりです。オマケに、「中秋の名月」を添えるかもしれません。なぜなら、こんな殊勝な心模様になったのは、中秋の名月のおかげでもあるからです。