9月28日(木曜日)、今にも雨が降り出しそうな、曇天の夜明けが訪れている。夏の朝の爽やかさに比べて、このところの秋の朝は、曇り空多く名前負けの朝である。確かに、すっきりと晴れた、夜明けに恵まれていない。このぶんでは、明日の中秋の名月も雲に隠れて、危ぶまれるところである。
「ひぐらしの記」は随筆集と銘打っているが実際には、とうに私日記に成り下がっている。このことでは、私は大法螺吹きの恥晒しである。もちろん、命題に恥じず随筆風に、気を入れて書きたい思いは山々である。しかし、起き立てに書く文章はままならず、もとよりそんな大それた芸当はできない。挙句にはもう書けない心境をたずさえて、パソコンを起ち上げている。わが切ない楽屋話である。
これまでこんな心境の吐露、何度繰り返し書いてきたことだろう。まさしく、大恥の重ね塗り状態である。書けば継続文の足しにはなるという、独り善がりの思いがあるのであろう。もちろんこんな文章では、大沢さまの「前田さん、何でもいいから、書いてください」という、お言葉の範疇外である。心して、詫びたいところである。
自分の文章が書けなければ、マスメディアの報じる配信ニュースを拝借していたときもあった。しかしながらそれも、今では面倒くさくなっている。それなに、出来立てほやほやの第88集には、「夢の100号、実現へ、再スタート」と、銘打っているである。なんだか空夢、丸出しで、これまた恥じ入るばかりである。夢を追って、こんな文章があと何年か続けば、自分自身うんざりである。確かに、早々に見切りをしたほうがわが身のためである。
雨の降り出しを恐れて、連れ立って散歩を急ぐ、人の話し声が聞こえてくる。今の私は、両耳に集音器を嵌めて、キーを叩いている。ウグイス、セミ、山鳥の声は無く、一匹のリスが電線を這っている。おやおや、曇りの雲間から朝日が昇り始めている。中秋の名月を眺めて、気分直しを肖(あやか)るのは虫が良すぎだろうか。しかし気分直しは、自分自身では叶わず、満天の「お月さん」すがりである。