9月6日(木曜日)。台風、嵐、雨なく、のどかな朝ぼらけの夜明けが訪れている。こんな暢気なことは書いておれない、「天災はいつ何時、忘れた頃に」やって来る。その証しにテレビ映像の上部にはほぼ毎日、日本列島のどこかに地震発生を伝えるテロップが流れてくる。きのうも、流れてきた(千葉県)。そのたびに、肝を冷やす日が絶えない。もちろん、わが住む神奈川県、いや自分自身が免れて、済むものではない。
日本列島に住むかぎり、国民すべてが同胞である。それゆえに、どこかしこ、だれかれにも、災害無きことを望むこととなる。しかしながら天災は、人間のこんな願望は蹴散らして、多大の災害をもたらすことになる。挙句、天災は人間の生きることのつらさの極みにある。のどかな夜明けにあって心中には、矛盾するこんなことが浮かんでいる。
気候はすっかり秋モードになり、日を追って過ごし易くなっている。その中にあって私は、日々天災を忘却することはできない。おりしも秋は、台風シーズン真っただ中にあり、そのうえ地震は、時や所を選ばず頻発する。のどかな朝ぼらけを眺めながら私は、幸福感と喜悦に浸っている。人間の幸福とは案外、こんなひと時なのかもしれない。ところが、地震は今にも起きるかもしれない。そうであれば長続きのしない、いや瞬時の幸福にすぎない。「人間万事、塞翁が馬」と嘯(うそぶ)くのは、人間の強がりと言えそうである。
ネタなく文章は、きょうも休むつもりだった。無理矢理書けば、こんな文章しかかけない。私には、とうに焼が回っている。