9月5日(火曜日)、5:05。夜明けは未だ薄暗い。雨は降っていなくても、朝日の見えないせいであろう。きのう(9月4日)書いた長文は、一瞬の指先の不始末で、ノート代わりのパソコンから消えた。泣くに泣けない「逃げた魚は大きい」の心境に陥り、心中で号々と泣いた。
きのは、待ちぼうけを食らっていた雨の朝だった。私はこんな表現で喜んだ。8月から9月へ月を替えたばかりなのに自然界は、朝夕の風はすっかり冷ややかになった。大空は大海原のごとく、青く澄み渡る。浮雲は真綿のごとく、真っ白く映えている。そして今朝はオマケに、待ち焦がれていた雨まで恵んでいる。さらに、幸いにも「防災の日」(9月1日)は、天変地異なく過ぎた。これらのことを鑑みれば自然界は、8月いっぱい雨の日少なく、暑い日をもたらした人間界へ、9月早々に粋な罪償いをしたのであろうか。
きょうの私は目覚めて寝床で、スマホを片手にはじめて、わが住む「今泉台」の天気予報を見た。不断、私が難渋を極めるデジタル社会の確かな恩恵である。すると、きょう一日にかぎらず、この先十日間の天気予報さえ記されていた。それを眺めると晴れマークはきょうだけで、その先の日には曇りマークに雨マークがこびりついていた。この天気予報に外れがなければ、せっかくの好季節のスタートにあって、秋天高い青空(日本晴れ)は望めそうにない。せっかくの罪償いは、新たな罪作りをしでかすのであろうか。もし仮にそうなっても私は、8月の罪償いに恩を感じて自然界に恨みつらみはない。このことではもちろん私自身だけではなく、視界の草木や、さらには見えない地中の虫けらの命まで、生気を戻したであろう。
書き殴っている間に、青空に朝日が射す夜明けが訪れている(5:35)。十日間でたった一日の晴れ間のきょうは、極めて大切な日となりそうである。バカな文章を書いてしまった。しかし、自然界の罪償いに感謝し、わが気分は爽快である。こんな文章は、指先の不始末で消えてもいいけど、それでも継続の足しにはなる。もったいない。