八月最終日

 8月31日(木曜日)。月最終日の夜明け前にあり、まもなく夜明けを迎えます。昼間が短く夜間が長い頃にあってその証しは、なおこの先、日を追って加速度を増してまいります。自然界の営みゆえにあらがうことはできずに、はやり歌の文句を浮かべています。確かに、「時の流れに身をまかせて」、生きるより仕方ありません。
 過ぎ行く8月は、雨の日の少ない暑い日が続きました。そのせいで人間はもとより、命あるものすべて、かつまた地上や地中に息づく樹木草類、虫けらにいたるまで、息づく困難に見舞われました。もちろん私は、空中を飛び交う鳥たち、海中や水中に泳ぐ魚たちは、暑い夏はどうだったかな? など、知るよしはありません。私事で言えば暑い夏は、確かに身に堪えました。実際にはこのことを口実にして、文章書きは飛び飛びになり、かなり休みました。挙句、もはや完走(継続の完結)など、夢まぼろしとなりました。このことでは換言すれば、きわめて消化不良の夏に甘んじました。だからと言って暑い夏が過ぎすれば、モチベーション(意欲)モリモリの当てどなど、まったくありません。人生の晩年を生きる者のつらさが身に沁みています。しかしながら頃は、清々しい初秋を迎えています。私は自然界の恵みに抱っこされて、なお生き続けるつもりです。
 明日(9月1日)は、先日の内視鏡検査の結果を聞くための予約通院(午前9時)があります。4日には新たな入れ歯の型取りのため、歯医者への予約通院があります。この後にはこれまた、眼医者における緑内障経過観察のための予約通院があります。明日あたりには三つの薬剤切れにともなう、診察および薬局通いの予定がります。恥を晒してまでも書けば薬剤は、クレアニチン(腎不全)、LDLコレステロール(悪玉)の基準値超えによるもの、さらには便秘薬です。こうまでしてわが命は、この先を生きる価値があるのだろうか? と、自己矛盾の考察と自問自答の繰り返しに苛まれています。
 茶の間の傍らでは配偶者(妻)が、日々生きるために苦しんでいます。だから私が音を上げては、「主人」という敬称は、はるかかなたへ格下げです。清々しい秋の朝の夜明けが訪れました。月替わって天変地異さえなければ、私は明日も生き続けます。しかしたぶん、文章はいっそう休み休みになりそうです。生きていることだけでも「幸福」なのか、人生の晩年に在っては、「幸福」の色合いは、日々様変わりを続けています。