防災の日

 熱帯夜、真夏日、そして猛暑日は、期限切れ間近になり、8月が過ぎて9月になりました。季節は、初秋から中秋へと向かっています。一方でいよいよ、本格的な台風シーズンの幕開けです。ネットの台風情報によれば、こう記されていました。現在、日本列島の南の島付近には、9号、11号、12号、すなわちトリプル台風が存在し、さらには13号、14号の「台風の卵」が生まれていると言う。
 卵が育てば三つを超えて、五つの台風の乱れ打ちになりかねません。台風情報を凌ぐ恐ろしさは、「地震、雷、火事、親父」の筆頭に位置する地震、すなわち震災の恐ろしさです。地震は台風と比べて、事前情報はまったくなく、文字どおりいつ何時、忘れた頃にやってくる恐ろしさです。きょう「防災の日」(9月1日、金曜日)は、かつての「震災記念日」から、呼び名を変えています。震災記念日の発端は、「関東大震災」です。私は電子辞書を開いて、教科書代わりに関東大震災の復習を試みました。関東大地震の発生は、わが誕生年17年前です。以下は、電子辞書記載の文章を指先難渋して移記したものです。文章だけでも、十分に恐ろしさを伝えています。
 【関東大震災】:「大正期の大地震、関東大震災によって起きた大災害。1923年(大正12)9月1日午前11時58分、関東地方南部に大地震が発生、規模マグニチュード7・9、震源は相模湾西北部と計測された。地震は小田原、根府川方面が最も激烈であったが、東京、横浜では地震による火災が加わり甚大な被害を生んだ。東京は3日未明まで燃え続け、下町一帯から山手の一部にかけて全市の3分の2が焼失、本所の被服廠跡では火の旋風で一挙に3万8000人が焼死。横浜では煉瓦造りの洋館などが倒壊し多くの圧死者を出し、全市街がほとんど消失ないし全半壊し、4日まで救援の手が届かなかった。被害は死者9万9331名、負傷者10万3733名、行方不明者4万3746名、全壊家屋12万8266戸、半壊家屋12万6233戸、焼失家屋44万712戸、流失家屋868戸、罹災者340万名」
 生きることの困難さをあらためて知る月替わりです。薄っすらと夜が明けて、きょうの私には朝の9時に予約されている、先日の内視鏡(大腸)検査の結果を聞く通院があります。それが済めば帰宅して、こんどは7度目の新コロナにかかわる予防注射の予約行動が控えています。しかし、台風災害や震災に比べれば、嘆くには及ばない人知の授かりものです。「防災の日」、すなわち「治に居て乱を忘れず」、わが肝に銘ずる人生訓の一つです。