うれしいこと、驚き、悲しいこと

 8月21日(月曜日)。確かな足取りで、秋が忍び寄っています。そう感じるのは、網戸から忍び込む風の冷ややかさです。このことではありがたいことですが、半面、去りゆく夏の惜しさをおぼえています。
 二度寝にありつけずに仕方なく、起き出してきました(4:01)。過ぎた17日にかいた「嘆息」ののちの三日間は、意識して文章を休みました。綺麗ごとに言えば暑い最中にあって、夏休みを取りました。いや実際には、これまで書き続けてきた「ひぐらしの記」の書き止めを、決め込んでいました。その理由は、書き続ける気力の喪失に見舞われて、みずから踏ん切りをつけていたのです。もちろん、この書き殴りの文章が、踏ん切りを蹴散らすとは思えません。二度寝にありつけない暇つぶしに、パソコンを起ち上げました。
 休んでいた三日間には、うれしいこと、驚いたこと、悲しいことがありました。それぞれについて書けば、こんなことです。うれしいことではこの夏、諦めかけていた丸玉西瓜を買ったことです。実際のところは重たくて、自分自身の買い物では買えません。そのため、妻の里(逗子市内)の義姉夫婦の買い出しのおりに、丸玉西瓜の購入を依頼したのです(2000円)。丸玉西瓜に張り付いていたラベルには、北海道「ふらの(富良野)」JA、生産者前中様との表示がありました。ラベルは生産者前中様「自信の西瓜」の表れであり、さらには北海道の西瓜をわが家で食べるうれしさ恵まれて現在、小刻みに舌鼓を実行中です。
 驚いたこととは、妻の里すなわち義姉夫婦の住む庭の中に、タヌキが現れたという受信メールに遭遇したことです。
 最後に悲しいことでは、きのう(20日)のふるさとでは、亡き長兄の三回忌の法事が催行されました。もちろん私の場合は、仏壇に供物だけのお参りになりました。8月盆の入り日の前日(12日)には、次兄の初盆のお参りに、東京都国分寺市内の宅へ、出向きました。
 きょうには、夏の高校野球の準決勝戦が予定されています。ウクライナとロシアの軍人は、合わせてすでに50万人にのぼる死者を数えているという報道がありました。
 世の中の出来事は悲喜交々に現在を流れて、過去ページへ消えてゆくのですね。うれしさ、驚き、悲しさは、命ある者の宿命と思えば、私ひとりが嘆いても、どうなるわけでもありません。いや、嘆けばソンソン(損々)です。だからもう、「嘆息」は打ち止めにしたいものです。それゆえに三日間は、「楽しい夏休みだった」と、嘯(うそぶ)きたいところです。ところが実際にはそうではなく、もう文章は止めるつもりの三日間でした。
 薄く夜明けが訪れています。すでにウグイスは、来春まで鳴き止めています。一方セミは、限られた命に急かされて、まもなく鳴き始めます。人間に生まれた私は、ウグイスやセミに比べれば私は、幸不幸、どちらでしょうか。自問の答えはどっちつかずに、いや分かりようなく先送りとなります。この先の私はしばし、青空に浮雲、彩雲いだく大空を眺めます。