嘆息

 涼しい夏の朝に身を置いているけれど、文章が書けない。夏休みのせいではなく、気力喪失ゆえなのがつらい。恥を晒してこんなこと書かなければいいけれど、生きている証にはなる。生きていればまた、幸せが訪れる。生きることの短いセミは可哀想だ。きのう(8月16日、お盆)、道端でセミ捕り網と虫籠を持った親子に出会った。楽しいそうだった。子どもの頃の、わが姿がよぎった。切なかった。