数値で定められている熱帯夜とは、夜間の最低気温が摂氏25度より下がらないことです。しかしながら、この数値に囚われず体感的に熱帯夜と言うことは許されているようです。なぜなら、電子辞書にはこう記されています。
熱帯夜:暑くて寝苦しい夜。最低気温がセ氏25度より下がらない夜をいう。
きょう8月22日(火曜日)、寝起きの私は前者にかんがみて挙句、こんな文章を書きます。すなわち、暑くて寝苦しい夜ではなかったけれど、普段の二度寝にありつけない状態に陥り、早い時間に目覚めて、そのまま寝床に寝そべっていました。
日本列島のどこかしこには、身体が茹で上がるような暑い日が続いています。暑い日を表す気象用語は現在、二段階構えです。前段は、「真夏日」(一日の最高気温がセ氏30度以上の日)です。そして後段は、「猛暑日」(一日の最高気温がセ氏35度以上の日)です。これらを上回る気温の基準は、まだ気象庁から発表されていません。だから自分勝手に私は、三段階目の基準を設けています。それは、「酷暑日」です。すなわちそれは、(一日の最高気温がセ氏40度以上の日)です。気象庁にあってもいずれは、一日の最高気温がセ氏40度以上の日をいう、新たな気象用語が認知(必要になる)されるはずです。
こんなことはどうでもいいことだけれど、現下の日本列島は、暑熱著しい真夏に晒されています。だけど真夏ゆえに、暑さはみずから耐えるより仕方ありません。きのうの私は、できるだけ昼間の暑さを避けるため、朝のうちでもなお早出の行動をしました。住宅地内にある最寄りのS開業医院で、8時半頃には待合室のソファに座りました。先着患者には、高齢の男性一人を見受けました。この日のわが外来への赴きは、二つの薬剤を二週間服のみ始めたのちの、採血結果を知るためでした。早出の功が奏しすぐに私の番になり、診察室へ入りました。一つ目、クレアニチン(腎数値)は、Hつきの1・48(男性基準値0.61~1.04)で、それまでよりやや高めで、薬剤の効果は未だしでした。ところが二つ目、LDLコレステロール(悪玉コレステロール)の数値は92となり(基準値70~139)、これまでの169から大幅に改善していました。
気分を良くして院外に出ると、私は予定していた次の行動に移りました。私は近くの「北鎌倉台バス停」へ急ぎ、巡ってくるバスを待ちました。木の幹に張り付けられていた時刻表には、次に巡ってくる時間を9:02と、記されていました。4、5人の並びの中にあって、私の前には日傘を差して、首周りから電動の携帯用扇風機(高橋弘樹様の教えによれば、横文字のハンディファン、この場合はネックファンかな?)を吊るされていた未知の中年ご婦人がおられました。私は野暮な声を掛けました。
「毎日、暑いですね。手に持つ円い扇風機はよく見かけますが、首から吊るすスマホタイプのものもあるんですね。これなら、日傘は楽に持てますね」
するとご婦人は言葉をさし置いて、私の顔の前に吊るされていた電動扇風機を差し出されました。人工の涼しい風がいっとき、マスク越しに優しくわが顔を撫でました。私多用の会話がはじまりました。
「ありがとうございます。結構涼しいですね。一度、円いものを試して見たいと思っていました。手に持つ円いものだけでなく、首から吊るすのもあるのですね。電源は電池、充電どちらですか?」
「充電で済みます」
「そうですか。面倒くさくなくていいですね。ありがとうございました」
バスが巡ってきた。バスに乗って私は、いつもの大船(鎌倉市)の街へ、買い物に向かった。
バスの車窓から、紅いサルスベリ(百日紅)の花が見えた。サルスベリは、わが子どもの頃の切ない原風景である。わが家の墓地は、小高い野末の丘の上にあった。幼児(生後11か月)の弟・敏弘が事故で亡くなると、村人は墓穴を掘っていた。墓穴に棺が下ろされた。見守る家人、そして私は、みな泣きながら少しずつ手あたりしだいに泥を落とし、棺にかぶせた。近くには、まだ育ちきれない小木のサルスベリが立っていた。
書き殴りのこの先は、字数がとめどもなく長くなりそうで、尻切れトンボをも構わず省略いたします。こんな書き殴りの中途半端な文章を書いてしまい、いたく恥じてお詫びいたします。茹だるような夏空は、まるで燃えるように照り輝いている。