8月10日(木曜日)、起き出して来て、パソコンを起ち上げた。もはや、書くネタも気力もない。しばし、雨戸閉めない窓ガラスを通して、四角に限られた額縁の中の景色を眺めている。天上には青い大空がある。その下、遠くには小さく山が見える。手前の視界には電柱が立ち、幾筋(7、8本)かの電線が張られている。家並みには、空き家の二軒の甍(いらか)が並んでいる。移り去った人がほったらかしにしたままの空き地には、むさくるしい茂りが見える。わが家周りの電線伝いには、山に棲みつく台湾リスが現れて這い走り、すぐに枠の中から消えた。このところ、ウグイスの声は途絶えている。現在、セミの声はしない。ただ、セミはもう、当住宅地に姿を現している。私は先日の通院のおり、その証しを見た。最寄りの「半増坊下バス停」へ向かう緑道(グリーンベルト)に、一匹のアブラゼミが転がっていた。アブラゼミは焦げ茶色の羽を下にして、白いからだを仰向けて死んでいた。履いていたスニーカーで蹴飛ばしてもいいけれど、私は指先で拾い上げて傍らの草むらに置いた。子どもの頃とは違って年老いた私は、セミの死に様には憐憫の情をおぼえている。ただ遊び心だけだったセミ取りの、遅すぎた罪滅ぼしや罪償いなのかもしれない。私はしばし、朝日きらきら光る、夏の朝を堪能している。
きょうの私には、歯医者通いがある。人だれでも、生きることは、つらいことだらけである。