心急く、通院日

 7月14日(金曜日)、「7月盆」のさ中にあって、夜が明けて朝が訪れている。生きていればこそ、日を替えて朝に出遭えることは、生きている者の最大幸福の一つである。あの世に、朝があるのかどうかはわからない。だから私は、あの世へ行き急ぎはしたくない。
 きょうは、命を長持ちさせるためにほぼ半年前に予約されている通院日である。きょうの病医院は、歯医者や耳医者などの部分器官の手当ではなく、身体のエンジン部分をなす内臓器官の検査是非(可否)のための受診である。具体的には「大船中央病院」(鎌倉市)の診療科の一つ「消化器内科」への外来である。私は、主治医の診立てにすがるしかない。歯痛や難聴(緑内障の経過観察)のように自覚する症状はない。けれど、それらを凌ぐ気分の重たい通院である。
 電子辞書にすがることなく私は、自分流の一つの言葉を浮かべている。それは「生きるための苦しみ」、すなわち「生活苦」という言葉である。文字どおり私は、日々生活苦に取りつかれては喘いでいる。電子辞書を開いた。「生活苦:生活上の苦労。特に、少ない収入で生活していく上での苦労」。わが浮かべている生活苦と、辞書の説明書きの生活苦との違いは、もとよりわかりきっている。しかしながらあえて、わが思いの生活苦を浮かべている。なぜなら、生きる活動(生活)には収入(金)の不足にかぎらず、すべてに苦労が付き纏っているからである。私の場合は広義、辞書の場合は狭義、共に生活苦と言えるであろう。
 ネタのない継続文は、つまらないことでも書かなければ頓挫に見舞われる。まさしく、気狂い沙汰模様である。しかし、精神科への外来は、自己診断ではまだ先延ばしにできそうである。夜明けの空は未だにぐずつく梅雨空であり、わが望む清々しい夏空は持ち越しである。予約時間は午前9時、通院準備に心が急いている。