令和5年7月15日(土曜日)、わが83歳の誕生日の夜明け前にある(3:59)。窓の外は未だ暗闇であり、わが誕生日にたいするウグイスの祝福メッセージは届かない。ところが、高橋弘樹様の祝福メッセージは、いつもの「大大大エール」付きですでに、掲示板にご投稿を賜っている。感謝の厚志を掲示板にしたためてのち、この文章を書いている。
きのうは思いがけない郵便が、郵便受けに届いていた。手にした「SmartLetter(スマートレター)の送信者は、「ひぐらしの記」の共著をなす、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん)であった。胸の鼓動が高鳴り、スマートレターを開けると、短くこんなメッセージが記されていた。「かつ子さんから送られてきました。読みましたので、静良君に送ります。富田文昭」。送られてきたのは、熊本県地方紙「熊本日日新聞(熊日)」の記事の切り抜きであった。記事とはいえ、連載物の『わたしを語る』という、読み物であった。読み物の意図を伝える太字部分をそのまま記すと、こう書かれている。夢と感動子どもたちに 感性を育む活動70年 熊日童話会会長 渥美多嘉子。切り抜きは①から㊸、期間にして令和4年11月15日から12月29日までのものすべてである。少しずつ読んでいくうちに、先ずはかつ子さん、そしてそれを回してくれた文昭君の意図と優しさが身に沁みてきた。
かつ子さんは、現在は熊本市内に在住のふるさとの同級生である。作者・渥美多嘉子さんとの面識はない。だから記事の中の拾い読みで、作者の周辺事情を知るのみである。主なところはこうである。私は1937(昭和12年)1月13日、父蔵原頼信、母は早子の元に、三男四女・7人きょうだいの三女として旧城北村(現在の山鹿市菊鹿町)に生まれました。経済的に厳しいと分かっていても、どうしても高校に行きたかった私は、父に無理を言って、進学を許してもらい、鹿本高校に合格しました(注:文昭君と私の母校)。1955(昭和30)年、鹿本高校を卒業し、熊本市古京町の国立熊本病院付属高等看護学校に入学しました。私は1988(昭和58)年、熊日に載った童話会のお話し会の告知を読み、参加したところ、ぐいぐい引きつけられて、その場で入会しました。これまでが一応、作者の人となりである。
掲載文は一回あたり、2000字ほどでしょうか。文章の中には「内田川」をはじめいたるところにふるさと情景が描かれている。このため確かに、ふるさと慕情つのるところがある。だからそのための、かつ子さんと文昭君の粋な計らいのプレゼントだったのである。私は文昭君の許しを得て、かつ子さんへ御礼のメールを送信した。するとすぐに、かつ子さんより返信メールが届いた。
「長い間、ご無沙汰いたしました。お変わりありませんか? 遅くなってすみません。大雨大変でしたね。熊本市内も7月盆ですか? きょうはお礼を申し上げます。新聞の切り抜きが文昭君から回ってきました。おかげさまで、ふるさと慕情がつのっています。ありがとうございました」
「今晩は本当に久しぶりです。あちこちで大雨被害が出ていますね。雨も昔と比べると、温暖化の影響ですかね? 梅雨明けが待ち遠しいです。昨日は御盆の入りで、菊鹿までお墓参りに行って来ました。故郷は田植えも済み冷風で暑いときは田舎が過ごしやすいと感じます。文昭さんから新聞の切り抜きが届いたそうで、静良さんまで回してもらい有り難いです」
明日はお誕生日でしょう、格好よく絵文字二つが並んでいた。だけど私には、それをここで記す能力はない。二つの絵文字を見ながら、(奥様とケーキを食べてお祝いしてください)と、翻訳したのである。私自身には83歳を祝う気分はないけれど、高橋様とかつ子さんから祝福を受けたかぎり、へそ曲がりは返上し、素直に祝福気分にひたっている。
一方で、身勝手な長文を詫びるところである。内視鏡検査の予約日は8月29日、検査開始時間は午後3時である。すっかり、夜が明けている。私は83年も生きてきたのだな……。ウグイスがお祝いエールを送っている。