連載『自分史・私』、22日目、中途完結

 私は苦慮している。とても、後悔している。自分史とは、自分の記憶や記録を書き留めているものであり、もちろんブログ等で公開する読み物ではない。私日記のように書き留めて置けば済むものである。ゆえに自分史は、書き殴りであろうと、雑多なことの繰り返しになろうと、自分的にはなんら構わない。それを恥じることもない。私は恥を晒すことにはやぶさかではない。しかし、公開するかぎり、これらのことはご法度である。今書いていることもこの先へ書けば、雑多な文章の繰り返し、すなわちエンドレスとなりそうである。それを恐れて私は、きょうの文章で中締め・中途の完結とするものである。
 「嘘も方便」。多くの子どもたちを育てるためには母は、余儀なく生活面においていろんな工夫や秘策を講じなければならなかった。秘策と思えるものの一つには、「置き座」のやりくりがあった。置き座とは、母が考えついた物の隠し場所である。母屋の土間には、精米機、製粉機、その他の機械類が密に寄り合って配置されていた。置き座は、土間の一隅で最も奥にあった。それは、ベッドのように平たく作られた板張りだった。それには、長いあいだ溜め込んできた世帯道具類が、わざとてんでんばらばらにでもしたかのように置かれていた。確かに、てんでんばらばらに置いて隠すことこそ、母の秘策だったのである。
 置き座があった土間の一隅は昼なお暗く、上方には一つの裸電球がぶら下がっていた。しかし、裸電球は用無しのごとくに、ほとんど灯されていなかった。これまた案外、母の秘策だったのかもしれない。なぜなら、暗いところへ行き、雑多なうえに製粉の粉まみれの中から、物を探すことには勝手知った家族にもためらいがあった。母が意図したことの第一は、外部からの侵入者(泥棒)の目眩(めくら)ましだったのかもしれない。ところが、泥棒というほどではないにしても、泥棒(コソ泥)は、外部からの侵入者ばかりではない。獅子身中の虫・わが子だって、油断すればコソ泥になり得た。いや、母の秘策の本当のところは、わが家のコソ泥除けだったような気がする。
 母はいろんな物を意図して、置き座のどこかに隠し、必要に応じて出してきた。置き座は、家族のだれもが知る母の必要悪の「へそくり」の場所だった。母は子どもたちの目眩らましには、日替わりで置き場所を変えたりもした。まさしく、母の苦心のコソ泥除けである。そして母は、「もうない、もうない」と言った後でも、もうないはずの物を小出しして、何度か置き座から出してきた。
「母ちゃん。甘納豆、もうないの?」
「もうない、もうない」
 もうないはずの甘納豆は、何度か出てきた。母の小出しは、楽しみをいっぺんで終わらせることなく、のちまで楽しみをとっておいてやりたいという、親心だったのであろう。
 また、早い者勝ちや独り占めを防いで、子どもたちにたいし平等に与えるという、これまたせつない親心だったのかもしれない。母は、置き座を操ることに腐心していた。母は、隠すことと、出すことのバランスの妙で、家事をやりくりしていた。ゴキブリの住み処のようにしか見えない置き座は、母の意を酌んで魔法の置き座の役割を演じていたのかもしれない。なぜなら、子どもたちの操縦術も、不意の訪問客への接待術も、母が置き座を操ることで保たれていた。総じて置き座の操縦術は、母が生み出した生活の知恵だった。同時にそれは、大勢の子どもたちをかかえ育てるための、母のやむにやまれぬ苦心の秘策だったのであろう。忙しく、釜屋と土間を駆けずり回る、母の面影がチラチラ浮かんでいる。