うれしくて、わが生涯において決して消えない記憶がある。多くのきょうだいたちは、わが風貌や日常の動作にたいし、まるで示し合わせでもしたかのように、「しずよしが、いちばんおとっつあんに似ているよ」と、言っていた。ところが、身内にかぎらず隣近所の人たちまでもが、「しいちゃんがいちばん、お父さんに似ているね」と、よく言っていた。確かに自分自身、私が幼い頃に見ていた父の風貌や動作をそっくり映し、真似てでもいるように思えていた。
私は父が大好きだったから、これらの言葉は誉め言葉として生涯、心中に確りと畳み込んでいる。父は『兄の頼朝に虐められた弟の義経』が大好きで、高じて、弱い者に味方する判官贔屓の精神を持っていた。わが命名「静良」の由来を、父の言葉で教えた。父は悪びれることなくいや誇らしく、義経の愛妾『静御前』(白拍子)から、「静」の一字とったと言う。「良」は、長兄一良、四兄良弘にちなむ、きょうだいの証しを示す符号にすぎない。父は、静御前を白拍子(遊女)と知っていたのか、それとも知らずだったのか?
後年の私は一時期、「静」すなわち、「女のきゃくされ(腐った)のような名前」が嫌いだった。高校時代の英語担当の平野先生(あだ名:スッポン)は、「半ば嘲(あざけ)るように、『しずら』、あるいは『せいりょう』」と、名簿を読んだ。まかり間違えば、小学校一年生から、苛めを招く名前であった。しかしながらのちには思い直して、もちろん誇りにはしていないけれど、現在は気に懸けるところはない。なぜなら、父の思い入れの強い命名だったからである。私はまったく偶然に、「義経と静御前」ゆかりの鎌倉に住んでいる。父の恩愛に報いる、箆棒(べらぼう)な亡き父への恩返しである。「鎌倉・鶴岡八幡宮」の賽銭箱の前に佇むと、そのたびにうれしそうな父の面影がよみがえる。