鹿本郡内田村、六郷村、そして菊池郡城北村、すなわち三村合併にちなんで、公募から生まれた新しい村の名は「菊鹿村」と決まった。「菊鹿村」それは、菊池郡と鹿本郡から頭文字一字を抱き合わせたにすぎないものだった。だから、私の気分的には拍子抜けを被り、名前的にはまったく洒落っ気なく新鮮味もない、まさしく平凡かつおざなり感横溢するものだった。それゆえに、がっかりした。「なあーんだ、これくらいなら、考えずに、俺も応募できたのに……」と、地団太を踏んだ。後の祭りである。
決まれば仕方がない。私は「内田村」から「菊鹿村」への呼称に、だんだんと馴染んだ。もちろん行政名の変更にすぎず、呼称が変わっただけで、内田村への愛惜が消えるものではなかった。このときから10年を経て昭和40年、町制施行により菊鹿村は、新たに「菊鹿町」になった。すなわち、鹿本郡内田村、次には菊鹿村、そして菊鹿町へと順次、行政名を変えてきたのである。そして現在は(のちの追認事項・平成の大合併)、平成17年1月における1市(山鹿市)4町(菊鹿町、鹿本町、鹿北町、鹿央町)の合併により、鹿本郡を離れて山鹿市の傘下に入り、熊本県山鹿市菊鹿町として存在する。
菊鹿町には四か所に温泉が湧き出ており、それぞれに大小の温泉旅館が営まれている。それぞれは、村人や近郊近在の日帰りや泊り客で賑わいを見せている。大きいところでは、街中の私設のヘルスセンターみたいに客同士打ち解けて、寝そべったりして疲れを癒す大広間の娯楽場もある。ときにはそこに、ドサ周りの大衆演劇がやって来る。将棋盤はどこでも用意されている。将棋好きの父が存命であれば、足繁く通い詰めたであろう。生前の父は母を連れて、わが家から歩いて山並を越えて、年に一度「杖立温泉」(熊本県小国町)への、十日ほどの泊りがけの湯治を習わしにしていたのである。