連載『自分史・私』、完結のあてどはない

 再び「掲示板」を汚す身勝手を許してください。恥を忍んでこれからこの先へ綴る文章は、前回の『少年』と相似た、書き殴りのみすぼらしい文章です。しかしながらこれまた、わが文章修業(60歳の手習い)の原点です。なかんずくこの文章は、「現代文藝社」(大沢久美子様主宰)の『流星群』への初投稿と思える、懐かしさつのるものです。大沢さまのご好意に感謝し、そしてささやかに報いるため、掲示板への再掲を試みるものです。書き殴りのエンドレスになりそうで完結叶わず、途中遺作に成り下がるかもしれません。それゆえにまた、「あしからず」という、自己都合の言葉を添えます。わが人生の晩年に付き纏う、「焦り」かもしれません。あらためて読み返すと、自分史の一端を成しています。だから表題は、かつての『内田川』から、『自分史・私』へ替えました。
 『自分史・私』
 他郷・鎌倉の自宅で目覚めた。他郷とはいえここは、終の棲家を成している。だからいつまでも他郷扱いにはせずに、仕方なくともこの地に馴染まなければならない。さわやかな気分で、書斎兼ベッドルームの窓から、露を帯びた山を眺めている。就寝時に降っていた雨は止んでいる。大空は、のちには晴れてくるかもしれない。白み始めている東の空を眺めながら、そんな予感に囚われていた。職場の同僚の多くは、日曜日には遅くまで床の中に居ると言う。ところが私は、休日も平日も変わりなく、早く起きてしまう。とりわけ日曜日など、飛びっきりの早起きである。出勤支度のない休日の夜明けがたまらなく好きだからである。
 今年(平成12年・2000年)の九月末日付けで私には、昭和38年(1963年)4月に入社した医薬品会社(エーザイ)を、37年半の勤務を終えて、定年退職(60歳)が訪れる。残されている勤務日は、日に日に少なく押し迫る。