少年は体を損ねることなく登校した。小学校一年生から六年生までの学年末の終業式の日にあっての少年は、毎年一年間の「無欠席賞状」をもらった。そして、六年生の終業式の日には、一年間に併せて「六年間無欠席賞状」ももらった。ちなみに少年は、内田中学校の三年間も無欠席で通し、小学校と中学校をまたいで「九年間無欠席者」に該当した。ただ、小学校および中学校の通年で、「九年間無欠席賞状」があったかどうかは記憶にない。しかし、少年が九年間無欠席であったことは、中学校に記録されている。記憶をさかのぼれば少年は、中学生時代に盲腸炎の手術を受けている。だとすれば手術は、期間の短い冬休みは無理で、夏休みを利用したのであろうか。
学校を休むほどではなかったけれど少年には、口内炎の発症が頻発した。そのたびに少年は耐えがたき痛さを堪え、治癒までの間の気分は憂鬱を極めた。内田村には内田医院、相良医院、谷川医院という三院が存在していた。これらのなかでは内田医院は、小学校と中学校を通して学校医を委嘱されていた。内田医院は、少年の家の掛かり医院でもあった。内田医院と言っても、内田村をもじった名称ではなく、内田清医師が開業されていた個人の医院である。内田医師は、だんだんと若い二代目の長男医師に代替わりを始められていた。確かに少年は、診察室へ入ると二代目先生の白衣姿を見ることがあった。
内田医院は、一本の県道を挟んで内田小学校の近くにあった。正面の玄関口には水飴色の板に墨滴で、「内田医院」と、書かれたものが掲げられていた。玄関ドアを開けて中に入ると、そこは待合室になっていた。手前には幅の狭い横長のコンクリートの土間があり、その奥は一段高く畳敷きの十畳ぐらいの待合室になっていた。玄関ドアを開けて中へ入ると、右手には小窓の投薬口があり、その手前には調剤や調合が済んだ薬袋、薬瓶、薬缶などを置く、長い横板が張られていた。投薬口を通してチラチラ見えるのは、調剤室担当の白衣姿の奥様である。奥様は看護婦兼任だったのかもしれない。なぜなら少年は、診察室でも奥様のほかに、看護婦さんを見たことがない。調剤室内の奥様は、天秤皿を前にして薬の調合をされている。普段から顔見知りの奥様は、内田村の名家の出と医院の奥様にふさわしく、育ちの良さを映して飛びっきり美しい人である。
患者は待合室に屯(たむろ)し、診察室から順に名前が呼ばれると、診察室ドアを開けて恐る恐る入る。ようやく少年の順番がきて、診察室から「前田さん」と、呼ばれた。少年は立ち上がり、おずおずと診察室のドアを開けた。診察室特有の消毒のにおいが鼻についた。少年は立ったまま、「こんにちは。だいぶいいですが、まだ痛いです」と言って、先生の前の診察用椅子に座った。先生は「どれどれ、口を大きく開けてごおらん……」と言われて、診察が始まった。先生は、頭にはヘッドライトのような円い鏡を嵌めて、片手の指先に細い金属棒を持って、それを口内炎の窪みにあてられた。「痛い」。少年は悲鳴を上げた。奥様はスリッパをパタパタさせて、床は板張りで仕切のない診察室と調剤室を往来されている。少年は診察室を出ても、痛みのとれない口内炎の個所を指先で触ってみた。すると、少年の指先には紫色のヨードチンキがべったりとついた。少年は、バカなことをしたことを悔いた。(体質かな? ちっともよくならないし、もう通院は止めようかな……)と、少年は泣きべそまじりに自己診断をした。こののちの少年の通院は、先生の診察に期待するでもなく、通院そのものがおざなりになった。
だんだんと少年の関心事は、待合室の板壁にもたれて、置かれている雑誌や漫画の本を読み漁ることに移っていった。そして少年は、子どもらしい浅はかな一考をめぐらした。(待合室を図書館か、勉強部屋のように活用すればいいのだ!)。少年はそう思うことで順番など気にせず、漫画などを読み続けることができた。患者の少ないときに板壁にもたれて、畳に足を投げ出して、ゆったりとした気分で読む待合室の時間は、医院にいるのを忘れるかのように楽しく一変した。少年は順番がきて待合室から呼ばれても、読みかけのページが気に懸かり、(まだ呼ばれなくてもいいのになあー、だれかお先にどうぞ……)と、頓珍漢な開き直りぶりさえみせた。
少年は通院日ではなくても、放課後の帰り道に、内田医院へ寄り道した。少年の目当ては、投薬口にあった。すでに医院内は、静かになっていた。診察時間が終わると先生は、たぶん診察室を空けて居宅に戻られるのだろう。ところが、投薬口から見える調剤室では、その時間であってもいつも、奥様だけは何かの仕事をされている。投薬口からは覗けば、中の薬棚が見える。少年が覗くと、薬棚の薬箱、薬瓶、薬缶は、どれもが色鮮やかで綺麗だった。少年は投薬口の枠に顔を着けて、「要らない箱があればください」と、こわごわと奥様にお願いした。このときの少年には欲しいもの欲しさで、不断の恥ずかしがり屋と内気な性向など撥ね退けられて、少年には清水の舞台から飛び降りるほどの勇気が出ていた。調剤室の奥様はニコニコしながら、少年には涎がポタポタ落ちそうな綺麗な空の薬箱を投薬口から横板の上に置かれた。少年はとうとう病みつきになった。その後の少年は、毎日のように放課後の帰りに内田医院へ寄り道して、投薬口の枠に額を着けて、調剤室の奥様に「また、ください」と、お願いした。そのたびに奥様は、いつものようにニコニコしながら、綺麗な空の薬箱と少年に渡された。少年はかなりの間、こんなダボハゼみたいな行為を繰り返した。ところが少年は、たったの一度だって奥様に嫌な顔をされて、断られたことはなかった。書かずにおれなかった、少年の少年時代の飛びっきり楽しい思い出の一つである。
少年はおとなになって、「エーザイ」(医薬品会社)に勤務した。少年は、もらっていた空の薬箱のいくつかは、「エーザイの物だったのだ」と、知った。楽しい思い出に加え、うれしくて、懐かしい思い出である。