連載『少年』、十一日目

 昭和二十二年三月には、教育基本法が制定され同時に学校教育法によって、六、三、三、四の新学制が発足し、六、三制の義務教育が導入された。いよいよ日本の国は、戦勝国の占領体制の下、あらゆる面で敗戦後の復興政策がスタートした。おりしも少年はこの年の、桜の花がいまだいくらか残る四月初旬にあって、内田村立内田小学校に新一年生として入学した。
 少年は母の手に引かれて、運動会の入場門のように花で飾り立てたられた内田小学校の正門を嬉々としてくぐった。少年の家には久しぶりに明るい話題が訪れた。不幸続きで重苦しかった少年の家は、少年が小学校一年生になったことでいくらか華やいだ。少年は一年一組にクラス分けされた。気に懸けていた担任は、美しい渕上孝代先生だった。幼い心が高ぶった。少年は教室に入ると立ったままに、窓ガラスを通して運動場を兼ねる校庭を見た。校庭の広さに驚いた。少年は緊張をほぐすため深呼吸をした。おそるおそる座った椅子はひんやりとした。すぐに、木椅子の肌触りがズボンを通して尻に馴染んだ。しかし、体の大きい少年には二人掛けの机は窮屈で、身を縮めて両膝を直角より内側に曲げた。
 教壇にはニコニコしながら渕上先生が立たれている。名簿を広げて、名前を読むためである。渕上先生は、「名前はあいうえお順に読みます」と、言われた。少年は頭の中で、自分の順番をめぐらした。少年は生まれつきの小心で、恥ずかしがり屋である。精神状態はもう、オドオドドキドキしている。「ま行」はうしろのほうで、順番の早い友達は「はい」と言って、すでに返事を済ましていた。そのためか教室は、だんだん騒がしくなっている。しかし、順番の遅い少年の緊張は解けない。少年の名が読まれた。少年は「はい」と、言った。順番を長く気に揉んでいたせいか、「はい」の声のタイミングが少しずれた。少年に恥ずかしさが襲った。しかし渕上先生はニコニコ顔で、次の順番の松本宏子さんの名前を読まれた。宏子さんはハキハキと明るい声で、「はい」、と言った。先生のニコニコ顔はさらに微笑ましくなった。少年は宏子さんが羨ましくなった。同時に、恥ずかしさがいやまして、綿飴のように一気に膨らんだ。恥ずかしさは先生のニコニコ顔に救われて、しだいに萎んだ。
 少年は渕上先生が好きになった。学校が終わると少年は、渕上先生のことを母に話したくて、ときには走り出しながら家に帰った。学校で感じた恥ずかしさは消えて、普段の少年になっていた。少年は大きな声で、「ただいま」と言って戸口元を入り、土間の三和土(たたき)を急ぎ足で駆けて、釜屋(土間の台所)へ行った。母は、「もう帰ったつや、早かったばいね」と、言った。
「きょうは、教室で名前を読まれただけじゃもん。担任は、渕上先生になったよ」
「そうか。そりゃ、よかったね。渕上先生は、よか先生じゃもんね」
「うん。とても、よか先生じゃった」
「渕上先生の家は、矢谷の尾上にあるよ」
「うん、知っている」
「渕上先生のお母さんは、自分と同級生で仲良しじゃったけん。あそこの人はみんな頭が良くて、女の人たちはとても綺麗な人ばかりたいね」
「渕上先生も、美しかったよ」
 少年は上がり框(かまち)に片膝をついて、座敷の埃を片手で払い、ランドセルを置いた。座敷脇の板張りにも白く埃が見えた。家の中のどこかしこが埃まみれになるのは、母屋の中に機械類が据えられて、糠や粉が舞うせいだった。少年の家は、作業場付きの住まいだったのである。
 家事に一息ついたのであろうか。釜屋にいた母が、垂らした前掛けに残りの雛あられを包みながら、少年の所へやって来た。母もまた座敷の埃を手で払い、板作りの上がり框をそばにあった濡れ雑巾で拭いた。雛あられは新聞紙を広げて転がされた。少年と母は、雛あられを挟んで上がり框に座った。少年は腹が減っていた。雛あられを指先で一度にいっぱい抓まんで、矢継ぎ早に口に入れた。空腹はかなり満たされた。母はまた、「きょうは、どうだったや?」と、少年に聞いた。少年はさっきのこととは別に、渕上先生のことをたくさん話した。「はい」のタイミングがズレて、恥ずかしくなったことも話した。宏子さんのことも、ちょっとだけ話した。母は「そんなこつ、気にせんちゃ、ええたいね。宏子さんは、内野の松本先生の娘さんじゃろ? 松本先生も、よう知っとるたいね。よか人じゃもんね」と、言った。
 少年は、校庭の広さのことも話した。母はニコニコしながら、少年の話に聞き耳を立てて、うれしそうだった。また母は、「渕上先生は、よか先生じゃけん、よかったばいね!」と、言った。少年は母ちゃんが何度も、「渕上先生は、よか先生じゃけん」と、言ってくれたことがとてもうれしかった。