連載『少年』、七日目

 桜だよりが内田村のあちらこちらから伝わり、村中は花見の宴が佳境になり、にわかに賑わっていた。少年の家の赤ちゃんの誕生は、村人の花見の酒肴には格好の話題となった。「田中井手(少年の家)では、また、子どもが生まれたげな(生まれたらしい)、何人目、じゃろかねえ……よう、もたすばいね」。酒の席で村雀たちは、面白おかしく大笑いしていたはずだ。酒飲みは花より団子で、酒を飲む機会があればバッタのごとく、どこへでも高跳びで飛んで行く。酒飲みには理屈は要らない。金の亡者が金に溺れるように、酒飲みは酒に溺れて、人徳を捨てて野次馬に豹変する。
 赤ちゃんは、敏弘と命名された。少年を仕舞いっ子と思い、兵児帯も使い納めかと思っていた母に、また「おぶ(背負う)紐」が復活した。母が歌う「ねんねんころり、ねんころり」の歌に釣られて、敏弘は母の背中でスヤスヤと眠った。少年ののろまな動作に、かなりの不安を持ちはじめていた頃でもあり、母の目に映る不断の敏弘の敏捷さは際立っていた。這い這いする敏弘を見て、母でさえ最後になってもしや、傑物が生まれたのではないかと、思うほどであった。確かに、庭中を這いずり回る敏弘のスピードには、目を見張るものがあった。敏弘は一歳の誕生日を迎える前に、歩き始めるだろうと、家人のだれもが思った。実際にも敏弘は、ときたま立って歩こうとした。不断の母は精米業の内仕事に追われながら、庭中で少年と敏弘が遊ぶ行動にも目を遣らねばならなかった。
 内仕事のときの母は、いつも背中に敏弘を負ぶっていた。生後十一か月近くの背中の敏弘は重たくて、いつも母の神経は尖って疲れていた。背中に敏弘を負ぶっていた母が、母屋から前掛けで汗を拭きふき、急ぎ足で庭中に独りで遊んでいる少年のところへやって来た。母は「ちょっとばかり、敏弘を見ておいてくれんや!」と言って、敏弘を少年に託し、背中から敏弘を下ろした。母は踵を返して、母屋の中へとんぼ返りした。昭和二十年二月二十七日の夕方の頃、庭中に「魔のできごと」が起きた。母のおぶ紐から解き放された敏弘は持ち前の敏捷さで、チエーンから外された小犬のように、這い這いに勢いをつけて這いずりはじめた。あちらこちらへと這いずり回る敏弘の動きを、少年は恐れた。母に任されて、兄として弟を守る決意に揺るぎはなかった。何度も追いかけては、そのたびに抱きかかえて、庭中の奥へ連れ戻した。しかし、五歳に満たない少年の足は、のろまのうえにまだ頼りなかった。夕陽がさすのどかな庭中は、修羅場に一変した。春とは言え取水溝(内田川の一部を堰き止めて、水車用に設けられた私有の水路)の水はまだ冷たい。流れの先には鉄製の水車が荒々しく回っている。庭中を這って、水車へ流れ込む水路へ向かう弟を兄が追う。兄は弟の後背から、「敏弘、敏弘」と、大声で叫び続ける。兄ののろ足は、限界までに速くなる。しかし、兄の足はとうとう弟のからだを捉えることができなかった。兄の眼前で、弟は水路に落ちた。ドボンと大きな音がして、水しぶきが高く飛び散った。万事休す。荒々しく回っていた水車は、「ゴゴン」と音を立てて、止まった。
 母屋の中から、母が血相を変えて飛んで来た。母は、敏弘を水車の輪っかから引き出し、抱いて母屋の中へ消えた。敏弘の僅かに十一か月の命が断たれた瞬間であった。少年にとって、敏弘との生活は短い期間だった。少年にはたくさんの兄と姉がいて、弟冥利のきょうだい愛に恵まれた。しかし、兄として声をかける唯一の弟・敏弘への愛情は、兄や姉から受けるものとはまったく異なり、格別の和みを少年に恵んだ。それが、断たれた。しかも、自分のへまで、断たれた。少年は、生涯にわたり消えることのない傷を負った。少年は、生誕地に流れる「内田川」をこよなく愛する。しかしながらこのへまがなければ、内田川への思いはもっとさわやかになる。敏弘への罪つぐないは、果たせない。短い間、弟がこの世にいたという事実だけが重たくのしかかり、たえず悲しさが付き纏う。