連載『少年』、四日目

 少年の家のある所を村中では、「田中井手集落」と、呼んだ。田中井手集落には少年の家を含めて、四、五軒があるにすぎなかった。隣家とはくっついていたが、ほかは飛び飛びにあった。先に書いた、マキさんの家もその一つだった。きわめて小さな集落である。ところが、むかえの田中正雄さんが豪壮な家造りで権勢をもたれていた頃には、その一軒で人が寄り合いいつも賑わっていた。茅葺きの多い村中にあって田中さんの家の屋根は、分厚い瓦葺きで巨大な二階建てだった。二階には宴会場があり、富山県から巡って来る配置薬の人の一夜泊まりにもなっていた。一階では、よろずや風の商いをされていた。産交バスの定期路線・「山鹿市―内田村」間にあってここは一時期、内田村の終発着所になっていた。少年の家の隣は、古家さんと言った。
 少年の家と隣の家は、家の間に共同で水車を回し、どちらも精米業を営んでいた。田中井手集落から県道を上方へ進めば、内田川を越える「田中井手橋」がかかり、着けば矢谷集落になる。その先も県道は一本道で、いくつかの集落を越えて山道に入り、熊本県と大分県の県境をなす峠へ向かう。下方へ進めば「仏ン坂」を越えて、はるかに遠い来民町、山鹿市の街中へと向かう。夕闇が迫っていた。少年は空腹をおぼえた。夢中で野山を歩き回った。薄闇になり、仏ン坂が気になった。母の顔が浮かんだ。仏ン坂を下れば、少年の家は近くなる。少年は、わが家へ向かって急いだ。なぜならこのあたり一帯は、坂の名前から連想して普段から、少年にかぎらず子どもたちを怖がらせていた。特に夜間など、子どもたちは通りたくない道だった。県道とはいえ舗装はなく、小石が転がり、砂利が剥き出し、あちこちに穴ぼこがあった。バスが通ると砂埃が舞い上がり、一瞬視界を遮った。県道沿いには、田中井手橋の下から取水した農業用水が小出をなしていた。小出の脇には笹が生い茂り、葉擦れの音を「ササ、ササ、サササッ」と、震わした。足元で崩れる砂利の音、自分の足音、夜の静寂にあってはすべての音が、仏や幽霊を思わせた。夜に歩くと少年は、恐怖心にとりつかれた。臆病というより、少年には未だ、物音がもたらす恐怖心を払う、知恵や勇気が育ってなかった。少年の心は怯えた。物音は全部、仏や幽霊の声のような気がした。
 昼間であっても仏ン坂だけは、一目散に走った。いっときも早く、通り抜けたかった。ただ、自分が走ると、仏も幽霊も一緒に走っているように感じた。少年は、なお夢中で走った。左前方にわが家と隣の明かりが近づいた。仏ン坂を下りきると県道の脇から、石ころコロコロの狭苦しい石がら道になった。この道を踏めば、わが家までは100メートル足らずである。この道に辿り着けば恐怖心は去り、少年の心はようやく普段精神状態になりに和んだ。母が、「遅かったばいね!」と言って、毬栗頭を撫でた。
 母の里は矢谷集落からやや離れた「井尻集落」の中にある。母の里の家は、田中井手の少年の家から見遣れば、内田川を挟んで川向こうに見える。直線的に測れば200メートルほどである。しかし、少年の家の裏からは川橋がないため、川を渡って行くことはできない。だからいつもの母は、県道にかかる「田中井手橋」を渡り矢谷に着き、さらには左に回りしばらく歩く。やがて、また左に逸れて小道へ入る。遠回りというよりこの正規の道を踏めば、この間は500メートルほどである。井尻集落には、上の家、下の家と呼ばれる、二軒の家が建っていた。