少年の家から100メートルほどの先には、往還(県道)を挟んで同じ「田中井手集落」に住む、古田マキさんの家があった。マキさんは、少年には訳知らずの独り暮らしだった。庭の一角には裏山の地中から、冷たい山水が滾々と湧き出ていた。特に夏休みにあっての少年は、バケツを両手に提げて、ほぼ毎日もらい水に出かけた。「ごめんください。水をもらいに来ました」と大声を上げて、勝手に汲んだ。道々、溢れ出る水を零しながら持ち帰った。冷たい山水のもらいは、ソーメンを冷やすための、母への家事手伝いだった。
隣家の遊び仲間の子どもたちも勝手に汲んでは、これまたほぼ毎日持ち帰った。少年から見るマキさんは、もうかなりのお年寄りだった。そのうえ独り暮らしのせいか、家の中はいつもひっそり閑としていた。少年はマキさんのお声で、「はい、自由に汲みなっせ……」という、許しを得ることはなかった。家の庭中には、時季物のニガウリがぶら下がっていたり、赤茶けたカボチャが転がったりしていた。家の周囲には、わが家や隣家にはない、高木の梨の木と枇杷の木があった。台風や大風のときには、少年と隣家の子どもたちは共に納屋奥にしゃがんで、落ちるやいな脱兎の如く拾いに走った。
マキさんの家の裏山へ登ると、山下集落の人のクヌギ林があった。林の中には、青空に白煙たなびく炭焼き窯があった。少年は、いくつかのクヌギの幹を強く足蹴りした。クワガタがパラパラと、足もとの笹藪に落ちた。笹藪を分けて拾い上げると、クワガタは鋭い角をぎりぎりに立てて抵抗した。それでも少年は構わず、クワガタの角間に小指の先を入れた。少年は、クワガタの角の力を試してみたかったのである。クワガタは死ぬ物狂いで、少年の指先にくらいついた。「痛てて……」、少年は慌てて手首を強く振った。クワガタは少年の指先から離れて、笹藪のどこかへ飛んだ。少年の指先には、出来立てほやほやの鮮血が滲んだ。少年は、バカなことをしたことを悔やんだ。
少年は、秋にはドングリを拾った。椎の木の下では、炒って食べるために椎の実を拾った。雑木林の中では、蔓を頼りにして山芋を掘った。あちこち探し回して見つけは、山柿、山ぶどう、木通(アケビ)、郁子(ムベ)などを千切って食べた。少年は、山の冷ややかな空気もたくさん吸った。里山は少年の家からごく近くにあり、突っかけ草履でも登れるほどに馴染んでいた。クヌギ山に入らず左に曲がれば、狭い段々畑が二、三枚あった。そこには季節を変えて、サツマイモ、アズキ、ジャガイモ、エダマメ、トウキビなどが植えられていた。
マキさんの家の脇には一本の往還(県道)が走り、一日に何往復かの定期路線バス(産交バス・九州産業交通)と、馬車引きさんが引く馬車の主要道路を成していた。村人はそれらが通ると路肩へ寄り、通り過ぎるまで道を空けた。
里山の奥に入ると谷あいには一か所、小さな溜まりがあり、山鳥たちの格好の水浴び場となっていた。同時にそこは、少年にとっても、とっておきの場所だった。溜まりにはメジロやウグイスなどが、水浴びに舞い降りた。少年はそれを狙って、長く飼い慣らしている愛鳥のメスのメジロを囮(おとり)に入れたメジロ籠を、溜まり近くの小枝に吊るした。メジロ籠には、鳥もちを満遍なく塗ったくった細木を差した。鳥もちのついた細木の先には、小鳥が好む熟柿やツバキの花をすげた。仕掛けを終えると少年は、20メートルほど離れた高木の陰に身構えた。メジロが鳥もちにバタつくとドドッと駆けて、神妙に鳥もちから外した。メジロはともかく、利口なウグイスは少年だけでなく、隣家の遊び仲間の子どもたちのだれにも、たったの一度さえ捕らえることはできなかった。腹いせに子どもたちと呼び合うウグイスの名は、「バカ」となっていた。