平洋子様。お義母様(恩師)の近況報告と元気なお姿(写真)を賜り、感謝にたえません。ありがとうございました。この先は、恩師がうら若い受け持ちの頃の呼称、「渕上先生」で記します。心中に根づいている懐かしさを、いっそう強く蘇らせるためです。渕上先生のお母様は、わが母の里・矢谷集落における、共に生涯にわたる幼馴染の仲の良い同級生でした。生誕地はいくらか離れて、お母様は尾上地区、わが母は井尻地区です。わが記憶によればお母様のお名前は、「たか子様」だったと思います。しょっちゅう母が、「たか子さん、たか子さん」と、言っていたと記憶しています。記憶間違いであれば、御免なさい。さらには、渕上先生とわが長兄は同級生、これに留まらず四兄にも、仲の良い同級生がおられました。お名前は、こちらは間違いなく、「たえ子様」でした。私の知るお母様、渕上先生、たえ子様は、村一番の美人系で、名を馳せていました。このまえお電話したおりの洋子様は、こうお話されました。
「義母が里へ行ってみたいと、言ってます」
私はこう応えました。
「お里は、尾上ですね。ご実家は、長い上り坂の右脇にありました。そこは、精米済の米の配達のおり、最も汗をかいて立ち止まり、二人で一息ついたところです」
四兄が米俵を積んだリヤカーを引き、私は後ろから懸命に押していました。私は、(渕上先生、おられるかな?)と、四兄は(たえ子さん、おられるかな?)と、期待を弾ませて、チラッと家の中を見遣っていました。
洋子様、今度は渕上先生の願いを叶えてやってください。たぶん、無理かもしれません。もし、叶えられたら、身勝手ながらまた、ご投稿文をお願いします。末尾になりましたけれど、早々の「タケノコ、ふるさと便」を賜り、重ねて御礼申し上げます。柔らかで滋味強く、鱈腹食べました。揮毫の掛塾は、名人・ご主人の作ですね。生け花、鯉のぼり舞う、ふるさと風景もいいですね。添えられている写真のすべてを目を凝らして、篤と眺めています。