死期が近づいている

 4月22日(土曜日)、5:02,天気模様のわかる夜明けはまだ先である。現在は、朝日の見えない夜空である。もう、朝日が見えてもいい時間帯である。曇り空の夜明けになるのかもしれない。もはや、わが文章はネタ不足である。「ひぐらしの記」は継続が断たれて、頓挫になりそうである。文章が書けなければ、この先の起き立ての時間はなんで埋めようかと、思案をめぐらしていた。挙句、本棚からかつて投稿したことのある全国公募誌「コスモス文学」(コスモス文学の会・長崎市)を取り出した。そこれには「第237号・2000年5月、同人誌」と、記されていた。
 この冊子はもはや、記憶から遠ざかっていた。366ページを成す、分厚いものである。誌面のジャンルには、「随筆・ノンフィクション」と、記されている。今号の筆者数を粗く数えてみると、80人ほどが名を連ねていた。そして、それらの作品数は、一人で数編の人もあり、面倒くさくなり数えるのを止めた。これらの中には随筆部門にあって、わが投稿文の三編があった。ちなみにそれらの作品は、『父と母』(14枚)、『ふたりの旅』(7枚)、『パソコンが届いた日』(11枚)である。枚数とは、投稿文が400字詰めの原稿用紙の数(換算字数)である。私の場合は同人になった思いはなく、行き当たりばったりに何度かの応募を試みている。ところが幸運にも一度、随筆部門で賞にあずかり、そして最もうれしかったことでは、ノンフィクション部門で、「コスモス文学新人奨励賞『少年』(98枚)を戴いたことである。久しぶりにそのおりに届けられた大きな額入り賞状を眺めていると、平成12年211日と記されている。ノンフィクション部門への投稿は一度切りである。随筆部門は、ほかにも二、三度ある。もちろん、お金をかけての投稿ゆえに見切りどきが肝心であり、文章手習い初めの一時期のことにすぎない。
 今朝は、『父と母』だけを読み返した。ちょっぴり自惚れてみよう。良く書けている。こんな思い出に耽るようでは、いよいよわが死期が近づいている。もちろん、「ひぐらしの記」にはふさわしくない。しかし、ネタ不足を埋めて、日を継いで書き連ねて見たくなっている。もちろん、みずから駄文とは言いたくない。なぜなら、わが苦心惨憺の証しである。だれも、読んでくれる人はいなかった。だから無念、もったいない気分横溢である。きょうは埋めても、明日の起き立ての時間は埋めようない。過去文の連載しようかな……。夜明けてみれば、朝日の見えない雨嵐である。