出会いの月、4月1日

4月1日(土曜日)。頃は良し、生きているのに、さしたる感慨はない。世の中は心寂しい別れの月(3月)が去って、新たに心楽しい出会いの月へと入れ替わる。しかしながら私には、不意の親類縁者あるいは自分自身との別れはあっても、もはや出会いは一切ない。周辺の桜の花は日に日に散り急ぎ、緑したたる葉桜模様を深めてゆく。そして、人々が誉めそやす賑わいは静まりゆく。その先には咲き誇る花々を変えて、風薫る五月(さつき)の空が訪れる。別れと出会いをなす学び舎の儀式は、明確に卒業式から入学式へ変わる。おのずから世の中には、様々に人の賑わいが溢れ出す。ところが私の場合は、置いてきぼりを食らったままである。もとより人との出会いがないのに、まかり間違って天変地異との出遭いだけは、真っ平御免蒙りたいものである。4:50,起き出して来て、気狂いみたいな文章を書いている。たぶん、このところ書き続けた長い文章のせいで、心身共に疲れているのであろう。いや、「ひぐらしの記」の執筆は、もうとっくに賞味期限どころか消費期限が切れた状態にある。実際には起き立ての、書き殴りの文章に嫌気がさして、疲れの主因を為している。だから疲れを取りには、たっぷりと時間をかけて、俗にいう整理整頓、すなわち文意を確かめ飾り言葉を整えて、書きたい思いが切々である。せっかくの出会いの月の初めにあって、こんな文章を書くようではなさけない。頼りにする山のウグイスは、まだ見知らぬ塒(ねぐら)でスヤスヤと眠っている。私は二度寝に就けず、キューキューと悶えている。薄明りの夜明けはのどかである(5:06)。